小説の執筆は、情報収集が8割 書くのは2割

私の大好きな写真家のHASEOさんが、いいことをTweetしておられたので、それに関連して(埋め込みはFacebookですが^^)

HASEOさんのコメント

映画のような雰囲気で作品を撮る為には
映画を撮るかの如くの
準備をしないといけないと実感

「作品」とは、準備8割。

今週撮影予定の作品は、構想から2年以上経っています
これだけ長い時間の準備する作品は久々です

頑張ります

「作品」とは、準備8割

「作品」とは、準備8割。

これは写真だけでなく、小説や絵画、音楽や陶芸など、創作全般に共通することです。

多分、事業や教育も同じでしょう。

何かを作る。

売る。

話す。

見せる。

書く。

奏でる。

それは創作の最後の一瞬。

『仕上げ』のプロセスに過ぎません。

小説にしても、「書く作業」、それ自体は最終プロセスの1割か2割ぐらいで、創作と言われる行為の大半は準備=情報収集なんですね。

情報収集に相当することは三つあります。

1. テーマに即した情報収集
2. 表現を学ぶ
3. 理解力を高める

1. テーマに即した情報収集

たとえば明治維新をテーマにした歴史小説について書く場合、江戸時代から明治時代にかけての史実や政治、服装、教育、文化、ゆかりの地など、いろんな情報が必要です。

その中でも、特にフォーカスすべき情報は何か。

日本と諸外国の関係。

政治家の力関係と行動。

当時の人々の暮らしや価値観。

江戸幕府の移り変わり。

等々。

膨大な情報の中から、作品の要となりそうなものをピックアップし、時系列や人物設定に併せて整理する作業も重要です。

多くの場合、この作業で執筆期間の8割が費やされると思います。

言い換えれば、この準備期間に、作品の要となりそうな情報に巡り会い、そこから理解を深め、物語の枝葉を広げることができたら、ほとんど作品としては完成しています。

あとは小説の作法に従って書き下ろすだけ。

書き下ろす作業はさほど苦ではないんですね。

何故なら、情報収集の段階で、作品の大半が完成しているからです。

書き下ろしの段階で悩むとしたら、修辞や用例、類語の選択などでしょうか。

執筆の途中で考えが変わって、情報収集からやり直すこともあるかもしれませんが、基礎ができていれば、方向転換はさほど難しいことではありません。

なぜって、あなた自身が、作品の本質を誰よりも理解しているからです。

ルポライターやジャーナリストもそうですが、執筆期間の8割は、「自分が伝えたいこと」を裏付ける情報との出会いだと思います。

たとえば、学校のいじめ問題について、自分なりに思うところをルポルタージュにまとめようとしたら、「これだ」という事例を盛り込まなければなりません。漠然と「いじめはダメだ」と繰り返しても、何の説得力もないですが、一つの事例を掘り下げれば、非常にリアルで心に迫るルポルタージュに仕上がります。

いじめの事例といえば、それこそ千差万別で、この数十年間にも、どれだけ悲劇が繰り返されたか分かりません。

その中でも、自分の伝えたいことを如実に表すような事例をピックアップする作業が、情報収集のメインなんですね。

その為には、過去に起きた何百、何千という事例を丹念に調べ上げなければなりませんし、当事者にインタビューしたり、噂の真偽を確かめたり、裁判を傍聴したり、自分で実際に調べることも不可欠です。それこそ情報収集だけで、何ヶ月、何年とかかるかもしれません。

それでも、その過程で、「これ」という情報が見えてくる。

それは遺族の無念の言葉かもしれないし、当時の担任教諭の述懐かもしれない。

そして、「その一言」によって、ルポルタージュが生きてくるわけです。

それに出会えるか出会えないかで、仕事の質も大きく変わってくるわけですね。

小説もそれと同じです。

漠然と明治維新の史実を書いても、面白くも何ともありません。

坂本龍馬にしても、西郷隆盛にしても、既に誰かが書いているし、既に誰かが書いていることを同じように繰り返しても、二番煎じと笑われて終わりですよね。

そうではなく、今まで誰も注目しなかった武士や政治家にスポットライトを当てたり、自分と似たような価値観をもつ人物に重ね見たり、無数の史実の中から「これぞ」という出来事を拾い上げて、そこに自分の主張を織り込むから個性が出るんですよ。

いわば、情報収集は「これ」に出会うまでの旅。

1冊か2冊、明治維新の本を読んだぐらいでは、物足りないと思います。

服装や建物の描写も難しいですからね。

でも、それだけ大変な思いをして情報収集するから、明治時代の物語を書いてもリアリティがあるし、登場人物の一言一言に説得力がある。

情報収集する中で、当時の人物になりきり、服装も、言葉遣いも、小物使いも、暮らしぶりも、何から何まで我が物とするから、原稿に書き下ろす時には、台詞もすらすら出てくるし、ちょっとした仕草や町の描写なども本物になるのです。

情報収集には大変な無駄足も含まれますが、そこから枝葉のように広がる知識もありますし、これを惜しまない人が最終的には伸びていくのではないでしょうか。

2. 表現を学ぶ

何をどう表現するにも、お手本がなければ難しいです。

踊りも、スポーツも、最初はお師匠さんのやることを見て、真似から始まりますし、ピアニストもヴォーカリストも巨匠の演奏を繰り返し聞いて、リズム感や音色を学びます。

書くこともまったく同じ。

「Aさんみたいに骨太な社会ドラマが書きたい」「Bさんみたいに美しい詩が書けるようになりたい」みたいな憧れから始まって、どんどんそれに近づいて、いつしか自己流に発展するのが理想かと思います。

その為には、理想の文体、リズム感、構成などを身に染み込ませるのが一番早いです。

何万冊も乱読する必要はありません。

自分の理想とする文体、理想とするリズム感を、何度も何度も味わって、自分のものにしちゃえばいいんですね。

ただ、何を理想とするかは誰も教えてくれませんから、その理想に出会う為には、いろんな文章を読まないといけない。

詩、小説、新聞の社説、経済誌のコラム、女性週刊誌の芸能ニュース、近所の酒屋の広告、何でも構いません。

キレがいい。

分かりやすい。

響きが美しい。

オチが上手い。

とにかく気に入ったものを覚えるまで読んで、それっぽく書いているうちに、自分らしさが加味されてくると思います。

それにプラスして、映画、絵画、音楽など、異なるジャンルの作品にも接しましょう。

優れた映画は、構成力や台詞回しの勉強になります。

優れた絵画は、文章の表現の幅を広げます。

優れた音楽は、文章のリズム感を伸ばします。

どのみち物事を知らないと、面白い小説は書けないので、何でも経験して損はないです。

3. 理解力を高める

どんな人も、自分が理解できる以上のことは書けません。

どれほど作文上手な高校生でも、世界経済や終末医療や民族紛争について、味のあるコラムは書けないのと同じです。

「平和が大事」みたいに言及はできても、専門家のように尖った評論や心に迫るエッセーは書けないでしょう。

小説も、想像力の賜ではあるけれど、やはり自分が理解できる以上のことは書けません。

ある程度はフィクションで誤魔化せても、核の部分で必ずコケます。あるいは、薄っぺらいと言われる。

何故なら、自分が心底理解してないことを、理屈だけで説明しようとするからです。

たとえ架空の物語を書くにしても、自分がその対象を理解することは不可欠です。

たとえば、民族同士の争いをテーマにアクション小説を書くとしましょう。

ただ単に、対立するA族とB族がガチャガチャと戦闘する場面だけ繰り返しても、面白くないですよね。

しかし、実際に世界で起きている民族紛争の本質を理解すれば、物語の深みが増します。

たとえ架空のキャラであっても、部族長の価値観、遺族の思い、戦士の決意など、その一挙一動、一言一言に説得力が生まれるからです。

民族紛争を理解する為に、銃弾の飛び交う紛争地まで行く必要はありません。

民族紛争について書かれたルポルタージュを読んだり、ドキュメンタリー映画を観たり、医療ボランティアの講演を聞いたり。その中で感じたり、考えたりしたことが、キャラクターの行動や言葉になるのです。

いわば、あなた自身の世界観や人生観が作品の個性となって表れるわけですね。

カッコイイ武器や必殺技は、物語を盛り上げる為のアイテムの一つであって、それゆえに感動するわけではありません。

民族紛争の何たるかも理解せず、「争いはダメだ」「○○族が憎い」とか、定型句みたいにキャラに言わせたところで、何の説得力もないのです。

情報収集の実際

たとえば、「ネズミが家の中に入ってきて、家族が困惑している。業者に依頼したら、すぐに原因が分かった」という場面を描くとしましょう。

ネズミはどこから、どんな風に、建物内に侵入するか知っていますか?

調べるのは面倒くさい?

こういうことを面倒くさがって、適当に書く人は、いずれ伸び悩むと思います。

なぜって、デタラメなのが読者にも分かるし、何のリアリティも感じられないからです。

今は、ネズミの侵入経路も、被害の様子も、ネットで検索したらすぐに分かります。

ネズミ駆除の会社が実例を挙げていることもあるし、一般ブロガーが「ネズミにやられた」レポートを書いていることもあります。

実際にネズミにかじられた壁や排水管の写真を目にしたり、業者さんとのやりとりを一読するだけでも、非常に参考になります。

実例に基づきながら、想像をプラスアルファするのと、調べもせずに適当なことを書くのでは、まったく重みも違うし、その後の展開も大きく違ってくるんですね。

その過程で、ネズミの侵入経路は「排水管」に設定したとしましょう。

皆さんは、建物の配管の名称を正しく知っていますか?

これも適当に「排水管」とか「下水管」とか書いてしまうと、いつか手抜きがバレます。

こんなのもネットでちょっと調べれば、いろんな情報が得られます。

下水管の名称

排水及び通気管の配管系統図

場合によっては、こんなかったるい文献というか、PDFも読む必要に迫られる。

横須賀市排水設備指針

しかし、こうして改めて知識を広げることで、正確さも高まる、理解力も深まる、語彙も増える。

実生活に役立つこともあります。

もちろん、何ページもあるPDFの全てが創作に必要なわけではありません。

欲しい情報や必要な情報は、わずか数行、図解一つ、みたいな事も多いです。

排水管一つにここまで……と思うかもしれませんけど、ちゃんと理解した上で書くのと、適当にやり過ごすのでは、まったく違うでしょう。

テキトーな描写↓
「大きなネズミがどこからか入り込んで、二階の部屋の壁をかじっているみたいだ」

ちゃんと調べた描写↓
「家中調べたが、屋根や壁にも隙間はなく、エアコンの導入部や水回りの配管にも特に問題はない。となると、考えられるのは、屋外に設置された排水パイプぐらいだ。しかし、あんな小さな生き物が、高さ何メートルもある排水パイプを伝って、二階まで上がれるものだろうか。業者に尋ねたところ、クマネズミなら可能だという。しかも、500円玉ほどの大きさの穴があれば、ネズミは軽々と侵入できるらしい……」

クマネズミ

ネズミが壁をかじったり、配管の隙間から出入りするのは誰でも知ってるけど、改めて、「ネズミってどんな生き物? どんな種類がいて、姿形や生態は?」と聞かれると、正確に答えられる人の方がきっと少ないでしょう。

生物学の論文みたいに、あれもこれも説明する必要はないけれど、正しい生態や姿形を知って書くのと、全然調べないで、「ネズミは灰色。大きさは五センチ」と適当なことを書くのでは、描写も、展開も、大きく違ってきます。

「話が続かない」「描写が単調」「印象に残らない」など、ちっとも上達しない人は、こういう所で手抜きして、頭の中だけで書いているのではないでしょうか。

何でも調べ始めたら大変だし、集めた情報の8割か9割ぐらいは無駄に終わることもあります。(結局、使わない)

それでも、調べる過程でいろんな知識が身に付くし、物の見方も広がります。

情報収集の段階で、話が組み上がって、ディテールも具体化すれば、原稿を書く作業自体はほとんど苦にならないんですよね。

あとは頭の中のものを書き下ろすだけですから。

言い換えれば、必要な情報が揃って、原稿に向かう時には、作品の8割が完成している、ということ。

ここを素っ飛ばして、乏しい材料だけで、すごいものを作ろうとするから、挫折するのです。

伸び悩んでいる人は、分かりきったことでも、改めて調べる習慣を身につければ、大きく変わると思います。

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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。趣味はドライブと登山。