人は「時を見る」ことなどできない 

人は「時を見る」ことなどできない。見ることができるのは、「時計」なのである。

寺山修司の仮面画報

人は「それ」をどのように認識するのだろう?

たとえば、「愛」なら、ダイヤモンドやケリーバッグで感じるかもしれないし。

情熱的な恋文でそれを実感する人もあるかもしれない。

「名誉」なら、周囲の賞賛と媚びへつらい。

「友情」なら、入院中に見舞ってくれる友達。

それが誤解であれ、期待外れであれ、私達は、物質、肩書き、行為、言葉といった、形あるものを通して、形なき概念を「事実」として認識する。

いわば、認識とは99パーセントの真実と1パーセントの想像力であり、その1パーセントの受け止め方によって、単なる古時計も、『思い出の時計』になったり、『無価値なガラクタ』になったりするわけだ。

彼氏がプレゼントしてくれた時計を、「こんな安物、愛が足りないわ!」と怒り出す人もあるだろう。

この世に『同じ認識』は二つと無く、一本の薔薇も、見る人によって美しさは異なる。

薔薇、それ自体が美しいか否かより、受け取り側の感性によるところも大きい。

言い換えれば、事象は事象であって、それ自体は何の意味もなさない。

受け手の想像力によって、はじめて意味のある何かになる。

認識とは、知恵の入り口であり、理解の第一歩だ。

私たちが、私たち自身によって、唯一コントロールできるのは、薔薇の香りではなく、己の認識である。

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QUOTE CARD

  • どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。 その後、彼は死ぬまで父を忘れず、その生き様を指針にするわけだが、愛とは何かと問われたら、慈しむだけが全てではない。身をもって生き様を示す勇気も至上のものだろう。 誰でも犠牲は怖い。  自分だけ馬鹿正直をして、損したくない気持ちは皆同じだ。  だが、その結果、一番側で見ている子供はどうなるか、いわずもがなだろう。  言行の伴わない親を持つほど不幸なことはない。  たとえ現世で馬鹿正直と言われても、本物の勇気、本物の優しさ、本物の気高さを間近に見ることができた子供は幸いである。 どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。...
  • 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。 どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを「創造的な生き方」と言います。 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。...
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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。
※ 現在、制作巣ごもり中につき、ほとんど更新していません。