ターナー

フリードリヒ・ニーチェの哲学 「自己超克」と「生の肯定」は本当に救いになるか

『ヤセの断崖』に立ったのは、26歳の時だった。

その翌年、楽劇『トリスタンとイゾルデ』をきっかけに、 ワーグナーに心酔し、彼の世界を探求するうちに、ツァラトゥストラに出会った。

『神は死んだ』という彼の言葉は、私の心の叫びでもあった。

ある出来事を境に、一気に崩れ落ちた価値観と自分自身とを、 『ゼロ』から立ち上げてくれたのが、彼の遺した書物だった。

ツァラトゥストラはかく語りき

生そのものが、柱を立て、階段をつくって、高みを目指して、おのれを打ち建ててゆこうとする。

生は、はるかな遠方に目をそそぎ、至福の美を望み見ようとする。

そのために生は高みを必要とするのだ。

そして、生は高みを必要とするゆえに、階段を必要とし、 またもろもろの階段、そしてそれを登り行く者たちの、 矛盾を必要とする。 生は登ろうとする、登りながら己を乗り超えようとする。

*

おお、人間よ。心して聞け。 深い真夜中は何を語る?

わたしは眠った、わたしは眠った――

深い夢からわたしはめざめた――

世界は深い。 昼が考えたより深い。

世界の痛みは深い―― 悦び――

それは心の悩みよりいっそう深い。

痛みは言う、去れ、と。

しかし、すべての悦びは永遠を欲する――

深い、深い永遠を欲する!

*

地上に生きることは、甲斐あることだ。

『これが生だったのか』

わたしは死に向かって言おう。

『よし、それならもう一度』と。

ニーチェへの想い

彼もまた「断崖」を知る人だ。

無の平原から立ち上がり、一つの思想を打ち立てた真の意味での『超人』でもある。

何気ない一言に、あるいは行間に、彼の悲鳴のようなものを聞くこともあるけれど、いつもその奥底に感じるのは、自分の後に続く人類――『神なき時代』を生き抜かねばならない次代の人々に向けた、優しく力強い祈りだ。

経済バブルの崩壊、リストラという名のクビきり、学級崩壊に、援助交際という名の売春。日本中、至るところで、”神が死んでいる”。

ニーチェのいう神とは、キリスト教の神でもなければ、その他宗教の神祖でもない。いわば人間の行動の指針となるもの、社会を束ねる善悪の基準であり、揺るぎない価値観である。

”神は死んだ状態”の人々が、どこに新たな心の指針を見出し、矛盾に満ちた現実世界で自己を確立するか、これは「第二の神」を与えるより難しい。

誰も彼もがニーチェのように自らの内側に意味を見出せるわけではないし、生きる気力のない者だって大勢いる。

たとえ正しいものが道を示しても、そうと気付かなければ、どんな教えも無意味だし、詐欺師と聖人を見誤る者もある。

いつの時代も、信じて救われるもの半分、そうでないもの半分だ。

何が正しく、何が尊いか、判断する能力があるだけで、相当に恵まれているといっても過言ではない。

たとえ財産や、容姿や、その他もろもろに恵まれていたとしても、善悪を見誤り、詐欺師に大金を巻き上げられて、悪い男に騙されるようでは、何の意味もないだろう。

ニーチェは、人間の強さを信じ、「この現実」の中で生を打ち立てる素晴らしさを説いたが、人間のどうしようもない弱さや愚かさに対するやさしい処方箋は書かなかった。私の知らないところにあるのかもしれないが、自分に鞭打つような教えの方が圧倒的に多いと感じる。

強く、強く、自分自身さえも乗り越えてゆけ、というのだが、果たして、人間それほど強くなれるものだろうか?

恐れず、迷わず、突き進むにしても、人間はどこからか「力」を得なければならないし、「的」がなくては進みようがない。

より良く生きるのが人生の目的ではない人だっているだろう。

となると、人間のもっと根源的な部分――時代の価値観が変わっても、人が求めずにいない『何か』を、私たちはどこに見出せばいいのだろう。

それはやはり天上に求めるしかないのだろうか。

様々な疑問を瞬時に解決する、非常にシンプルな答が一つだけ存在する。

世界を構成する『第五の要素』、すなわち「愛」だ。

人は常に心の強さを保てるわけではないし、過つこともある。

また、強い人が常に弱い人の支えになるわけでもなければ、正しいものが必ずしも悪いものを救うわけでもない。

強さにも正しさにも限界があり、自身を超克することができても、決して全人類の救いにはならないだろう。

究極、個と人類を救うのは慈しみの気持ちでしかない。

それだけが唯一、人間の器を、その集合体である社会を、超えていける要素と思う。

私もニーチェが好きだし、確かに一つの真理だとは思うけれど、時に疑問に感じるのは、いつもその点なのだ。

私は、弱い人が存在してもいいし、その弱さゆえに滅びるのも人間らしさの一つと思う。

個々が強くなっても、克服できない問題はこの世にごまんとある。

皮肉なことに、自身が精神的に強くなり、超克の何たるかを学ぶと、逆に「強くあれ」という教えが辛く感じられるものだ。

それはきっと、ニーチェの思想の価値が分かるだけでも恵まれていて、分からない人がいる限り、それは万人向けの処方箋にはならないことを悟るからではないだろうか。

初稿: 1999年7月4日

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