外の世界に憧れる猫と閉ざされた窓 【猫日記 2】

猫には、外に憧れる気持ちはあるけれど、自分でドアを開ける力はない。

誰かが開けてやらないと、いつまでも家の中に閉じ込められたまま。

どれほど外に出たくても、ドアの前でにゃーにゃー鳴くだけ、夢を叶えるには、大人の手が必要なのだ。

近頃はドアや出窓の近くでウロウロするだけで外に出たいのだと分かるようになった。

こちらが気付かないと、「にゃぁ~」と甘えることもある。

ああ、外に出たいのね、と、窓を開けてやる時だけ、ちょっぴり優越感。

そして、夢の天使。

たとえ相手が猫でも、願いを叶えてやるって、なんていい気分だろう。

窓を開けると、窓枠のところで少し考えた後、とことこと屋根を降りていく。

行ってらっしゃい。あまり遠くへ行くんじゃないよと、見送って、こちらはちょっぴり淋しい気分。

うちの子たちが成人する時も、きっとこんな感じだろう。

家に居る間はせっせと餌をやり、ぐうぐう昼寝している時は起こさぬように物音に気を遣い、あれやこれやで世話を焼いて、出て行く時は一瞬だものなぁ。

今でも犬猫を我が子のように可愛がる気持ちなど知らないし、分かりたくもないが、こんな日常が三日、四日と続けば、そのうち、こう言い出すんだろうな。猫に向かって「うちの子が」。いやもう、猫は猫だよ。三人も子供いらネ。

それにしても、じっと窓に向かって何を考えているのやら。

人間だけが知的で、魂を有するなどと誰が言い出したのか。

猫にも知性はあるし、多分、心もある。

自分の言葉を持たないだけで、胸の中にはいっぱい、やりたい事、気になる事、あるだろう。

ただ、彼らには、自分でドアを開ける力がない。

足りないのは、本当に一点、それだけだ。

そして、人間も、時にはドアを開けてくれる誰かを必要とする。

どれほど焦がれても、自分の力では、決して越えてゆけないドアがあるから。

それが自分のドアであれ、他人のドアであれ、『求めよ、さらば開かれん』。

こんな猫一匹でも、ドアを開けてくれる誰かの手があるのだから。

今日のニャーコ。いつもこうして外を眺めています。
ニャーコ

QUOTE CARD

  • どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。 その後、彼は死ぬまで父を忘れず、その生き様を指針にするわけだが、愛とは何かと問われたら、慈しむだけが全てではない。身をもって生き様を示す勇気も至上のものだろう。 誰でも犠牲は怖い。  自分だけ馬鹿正直をして、損したくない気持ちは皆同じだ。  だが、その結果、一番側で見ている子供はどうなるか、いわずもがなだろう。  言行の伴わない親を持つほど不幸なことはない。  たとえ現世で馬鹿正直と言われても、本物の勇気、本物の優しさ、本物の気高さを間近に見ることができた子供は幸いである。 どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。...
  • 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。 どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを「創造的な生き方」と言います。 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。...
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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。
※ 現在、制作巣ごもり中につき、ほとんど更新していません。