村上春樹 -通りすぎないものもある-『風の歌を聴け』より

村上春樹 -通りすぎないものもある-『風の歌を聴け』より

一生に一度は村上春樹の小説を読もうと思って、デビュー作の『風の歌を聴け』を購入。

なぜ『風の歌を聴け』を選んだかといえば、冒頭の『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね』の一文と、次の一節が気に入ったから。

「何故金持ちが嫌いだと思う?」

その夜、鼠はそう続けた。そこまで話が進んだのは初めてだった。
わからない、といった風に僕は首を振った。
「はっきり言ってね。金持ちなんて何も考えないからさ。懐中電灯とものさしが無きゃ自分の尻(けつ)も掻けやしない。」

はっきり言って、というのが鼠の口癖だった。

「そう?」
「うん。奴らは大事なことは何も考えない。考えてるフリをしてるだけさ。……何故だと思う?」
「さあね?」
「必要がないからさ。もちろん金持ちになるには少しばかり頭が要るけどね。金持ちであり続けるためには何も要らない。人工衛星にガソリンが要らないのと同じさ。グルグルと同じところを回ってりゃいいんだよ。でもね、俺はそうじゃないし、あんただって違う。生きるためには考え続けなくちゃならない。明日の天気のことから、風呂の栓のサイズまでね。そうだr?」

「ああ。」と僕は言った。
「そういうことさ。」

鼠はしゃべりたいことだけをしゃべってしまうと、ポケットからティッシュ・ペーパーを取り出しつまらなそうな音をたてて鼻をかんだ。鼠がいったいどこまで真剣なのか、俺にはうまく把めなかった。

「でも結局はみんな死ぬ。」僕は試しにそう言ってみた。

「そりゃそうさ。みんないつかは死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに五千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」

そのとおりだった。

最後の一文だけは同意しかねるけど、人間、生活の心配がなくなると、同じところをグルグル回ってりゃいい、というのは、そのとおりだと思う。

この前節に、

もしあなたが芸術や文学を求めているのならギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生みだされるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういったものだ。
夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。

という一文があるけれど、それも全くその通りで、日々の暮らしに追われ、キリキリしている人間に、暇もなければ余裕もなく、まして人生がどうだの、芸術がどうだの、論じている時間などないわけで、それが出来るということは、相当な暇人か、あくせく稼ぐ必要がないか、どちらかだろう。

ここで述べられている「金持ち」と「芸術や学問に励むギリシャ人」との違いは、前者は自分の事にしか関心がないが、後者は少なくとも自分以外の事に関心をもち、知的に生産することを選んだ人たちで、同じ”暮らしに困らない人”でも、少し異なる。

突き詰めれば、『思考』や『創造』というのは、利他愛に基づくもので、自分主体では、本当に価値あるものは生まれてこない、という証だろう。

そう考えると、『そして、それが僕だ』という一文は、とんでもない嘘に感じる。

村上さんは前者でしょうに。

とても冷蔵庫を漁るような人間には見えないもの。たとえ漁ったとしても、冷蔵庫の中身はいつも上等で、間違っても、主婦が買うような一袋28円のもやしとか、子どもの食べ残しの煮物とか、閉店前のセールスで買った赤札付きの牛肉パックとか、入ってなさそうだもの。『風の歌を聴け』を読む限りは。

もちろん、ここで言う『僕』は村上さん自身ではなく、小説の主人公なのだけどもね。

そこで問うてみたい。

「いろんなことを考えながら50年生きる」のは、どうして「何も考えずに五千年生きる」より疲れると言い切れるのか。

人間、何も生産しない方が、うんと侘しいし、疲れると思うよ。

いろんなことを考えながら50年生きた方が、退屈しないし、張り合いもある。

私、そんな風に言い切れるほど、暮らしに余裕ないし。

冷蔵庫を漁る生活にも、哲学はあると思うし。

私が村上春樹より寺山修司の方が好きなのは、多分、そのあたりが理由と感じる。

上手く言えないけど、場末のホステスや畳の上に落ちた一本の長い髪を詩にしてしまう感性により惹かれるのだと。

そんな風に考えながら、ぺらぺらっと読み終え、最終章の一文『あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている』というのを読んで、ああ、若い頃に書いた作品なんだなあと実感。若いうちは、そんな言葉を口ずさみたくなる瞬間が何度もある。年を取れば、世界の重みもまったく違ってくるけども。

でも、随所が非常に魅力的で、きらきらした才能を感じる。

最新作も読んでみようかなと思うが、ちょっと世界観に付いていけないところがあるので、どうだろうか。

恐らく、アンチ春樹がイライラするのは、あまりに現世とかけ離れた、中学生のポエムノートみたいな雰囲気が受け付けないんだろうな。私が人にどれほど名作と薦められても、大島弓子の『綿の国星』の良さが分からなかったみたいに。

ともあれ、人を感動させるのも、イライラさせるのも、才能がなければできないこと。

「何の変哲も無い舞台に感動を生み出す。これはあの子の得意技ですよ」って、『ガラスの仮面』の月影先生の台詞だけども、毒にも薬にもならないことを書いても仕方がないし、読者が反応した時点で、それは名作なのですよ。永遠に通り過ぎることのない名作。

村上さんは「すべてのものは通り過ぎる」と書いているけども、この作品は誰の心も通り過ぎないのじゃないかな。良きにつけ、悪きにつけ。

そして、それは、この作品に対する、最高のアンチテーゼという気がする。

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 著者  村上 春樹
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 5つ星のうち 4.0 (254 件のカスタマーレビュー)

 

初回公開日:2018.09.14