言葉の問題は自尊心も傷つける ~大切なのは自分を好きになること

言葉の問題は自尊心も傷つける ~大切なのは自分を好きになること

言葉とは、人間そのもの

人は言葉によって、自身の考えや欲求や感情を表し、相手に伝えることができます。

その逆もしかり。

一言といえど、そこには、発した人の心があり、動機がある。

言葉とは、全人的な存在なのです。

もし、何かの原因によって、言葉に不自由が生じたら、人はどんなストレスを感じるでしょうか。

外国語が通じない、身体的な問題がある、精神的なプレッシャーから言葉を発せない、等々。

自分の言わんとすることが誰にも通じなかったら、大変な孤独と疎外感を覚えるでしょう。

あるいは、自身の意思も欲求も思うように伝えられない為に、自尊心が傷つくかもしれません。

言葉は、どんな些細な一言であっても、その人の心髄に直結しているのです。

ここでは、心理的なプレッシャーから、幼稚園で話せなくなった息子の状況を描いています。

息子の言葉の問題を直そうと、父親は必死で駆け回りますが、状況はひどくなるばかり。

そんな中、独特の言語療法をほどこすオステルハウト先生に出会います。

そこで学んだのは、「自分を好きになること」。

言葉に問題があっても、能力的に劣っても、自分を好きでいる気持ちこそが子どもを幸せにするのです。

このパートは海洋小説『曙光』の抜粋です。
詳しくは作品概要と記事一覧をご参照下さい。
冒頭部の無料サンプルはGoogle Drive からDLできます。

【あらすじ】 なぜ話せない?

ネーデルラントの締切大堤防に魅せられ、土木技師を志したグンターは、フェーレという運河の町で堤防管理の仕事をしていたが、マルセイユから訪れたアンヌ=マリーと恋に落ち、息子のヴァルターをもうける。
ドイツ語、フランス語、英語、オランダ語という四カ国語の環境の中で、すくすく育っているように見えたが、幼稚園教諭から聞かされたのは、場面緘黙症という衝撃的な出来事だった。
グンターは息子の言葉の問題を直そうと、必死で専門家を駆け回るが、診察所を訪れても、ヴァルターはますます口を固く閉ざし、一言も話そうとしない。
就学もままならず、グンターはついつい怒りを息子にぶつけてしまうが、息子の口から聞いた「大好きだよ、父さん」の一言に心を打たれる。
うまく話せなくても、この子は「愛」という美しい言葉を知っているではないか。
僕がこの子を信じなかったら、誰がこの子を信じてくれるのか……。

そんなグンターの苦悩を知って、職場の同僚が新しくオープンしたスピーチセラピーを紹介する。
グンターは大きな不安を抱えながら、ヴァルターと一緒にセラピーを訪れる。
そこでセラピストのオステルハウト先生に教えられたのは、「自分を好きになる」ということだった。

【抜粋】 言葉の問題は自尊心も傷つける

「それじゃあ、ヴァルター、先生はこれからお父さまと話をするから、あなたはセラピストのゲルダ先生と教室を見学してくれる? みんなでジェスチャーゲームをするの。楽しいわよ」

ヴァルターが若い女性セラピストに手を引かれて、廊下の突き当たりの教室に行ってしまうと、グンターは何度も目を瞬いた。

「一体、どんな魔法を使ったんです? あの子はドクターやセラピストが大の苦手なのに……」

「ですから、シュテファン・マイアー選手のサインが効いたのですわ。もちろん、その子によりけりですけど」

先生は微苦笑を浮かべた。それからグンターを自身の執務室に案内し、改めてソファセットに向かい合った。

「率直に言いましょう。一番の問題は軽度のディスレクシアです。構音障害や緘黙症はそこまで深刻な問題ではありません」

「ディスレクシア?」

「つまり、読み書きが極端に苦手なのです。脳の中枢神経の問題と言われていますが、いまだに決定的な原因や治療法は分かっていません。それに加えて軽度の構音障害があり、他人と話すのに極度に緊張したり、何度もつっかえたりして、ついにはコミュニケーションそのものを止めてしまうのです。それが傍目には自閉的な子供に映るのですわ」

「やはり四カ国語の環境が負担なのでしょうか……」

「それはあくまで誘因の一つです。言葉の問題に『これ』という明確な理由はありません。先天的な器質障害や持って生まれた性質、家庭環境、学校でのイジメや教師の叱責など、いろんな原因が重なって、その子特有の症状に現れるのです。たとえば構音障害から対人恐怖症を引き起こしたり、些細な言い間違いをクラスメートにからかわれるうちに本当に吃音になってしまったり。だからといって、言語能力やコミュニケーション力が著しく劣っているわけではありません。子供だって、頭の中では、相手の話している内容や自分の言いたいことをちゃんと理解しています。でも、恐れや緊張、劣等感など、様々な理由から、普通の子と同じように喋ったり、意思表示するのが難しくなるのです」

「それは一生直らないのですか?」

「訓練次第で社会生活に支障をきたさない程度の能力は身につきます。けれど読み書きやコミュニケーションに対する苦手意識は一生つきまとうかもしれません」

「一生……」

「そんなに気落ちなさらないで下さい。これは百万人に一人のレアケースではありません。程度の差こそあれ、同様の問題に苦しんでいる方はたくさんおられます。それでも社会的に成功している人も少なくないのですよ、シュテファン・マイアー選手のように」

「マイアー選手が?」

「悪い噂を耳にしたことはありませんか。インタビューしても無愛想で、お高くとまっていると」

「それなら一度、スポーツ誌のゴシップ記事で目にしたことがあります」

「マイアー選手も深刻な吃音を抱えておられます。だからマイクを向けられると反射的に身構え、無愛想な印象を与えてしまうのです。訓練を重ね、普段の会話ではほとんど支障が無いほど回復されていますが、それでも何万の観衆の前で話すのは大変な苦痛です」

「それは知りませんでした……」

オステルハウト先生はヴァルターに見せたマイアー選手のメッセージ・ビデオを再生した。

それはマイアー選手が同じ言葉の問題に悩む子供たちの為に制作したもので、子供時代にしどろもどろで喋る姿や、役者の発声練習みたいなトレーニングを繰り返す姿が収められている。最後にマイアー選手は子供たちに「一緒に頑張ろう」とメッセージを伝え、センター前から打ったロングシュートはキーパーの頭上を越えて、鮮やかにゴールに吸い込まれていった。

<中略>

「あの子の場合、知能や器質に問題があって喋れないのではありません。どこかの過程で、他人と話す恐怖を体験したのです。『友達に鼻詰りのような喋り方を真似される』『自分の喋っていることが周りに正しく理解されない』といった事です。集団生活において辛い経験を繰り返すうち、心の緊張が高まり、ついには特定の人、特定の場所で声を発することすら出来なくなるのです。でも、発音に関しては、今からスピーチ訓練を重ねれば、他人が聞いても気にならないぐらいに改善しますし、コミュニケーションに伴う苦痛が和らげば、友達や先生とも楽しくお話しできるようになります。学校生活を楽しむ余裕ができれば、読み書きにも弾みがつくでしょう。一番大切なのは周りがそれを理解し、子供が自分自身を好きになることです。上手に発音できなくても、読み書きが苦手でも、自信をもって意見を述べ、気持ちを表現することがこの教室の目標です

(そうか)とグンターは納得した。 
今まで直すことに躍起になってきたが、一生喋りや読み書きに不自由しても、その為にこの子の価値が失われるわけではないのだ。それより他と違うことを恐れず、自分を好きになることの方が何倍も大切だ。

「言葉の問題というのは、四肢やその他の障害と同じくらいダメージが大きいものです。なまじ普通に生活できるが為に、『喋れない』『読み書きできない』というだけで、低能や怠け者のレッテルを貼られてしまうのです。それで本人もますます心が萎縮して、本来もっている能力まで損なってしまうのですわ。あの子の場合、理想のモデルはあなたです。あなたのことが好きで好きで、あなたのようになりたいと願っているにもかかわらず、あなたのように流暢に話せず、期待に添うこともできないので、余計で自分を嫌い、自責の念にかられているのです」

「そんな……」

「四歳から五歳にかけて、あちこちの相談所や専門医を訪ね歩いた時期がありましたね。その時も、あの子は心の中で悲鳴を上げていたのです。でも、あなたのことが好きだから『イヤ』とは言えなかった。その代わり、ドクターやセラピストの前で固く口を閉ざして、精一杯の自己主張をしていたのです。それにお気付きになりませんでしたか」

グンターは打ちのめされ、返す言葉もない。

「誰にでも思い違いはありますわ。良かれと思ってしたことが裏目に出ることもあります。ここに来られる親御さんは皆そうです。何とかしたい一心でいろんな教材を与えたり、何人も家庭教師をつけたり。子供より親の方が必死になってしまうのです。でも親に悪気がないのは子供にも分かります。だから余計で辛いのです。幸い、あの子の場合、家庭環境は良好ですし、学びたい意欲も人一倍です。訓練を重ねれば、『L』が『W』に、『F』が『M』聞こえるような構音障害はかなり克服できるでしょう。それに読み書きが苦手でも、今は性能の良いテキスト読み上げツールや音声入力ソフトウェアがあります。実際、そうしたツールを駆使して、ビジネスや芸能で活躍しておられる方も少なくありません。どうぞ希望を持って下さい。あの子なら、きっかけ一つでぐんぐん伸びるはずです」

<中略>

「ご自身を責めてはなりません。そんなことをすれば、あの子はますます『自分のせい』と思い込み、閉じこもってしまいます。スピーチ訓練は親の贖罪ではありません。まして子供の義務でもありません。豊かな人生を勝ち得る為の一つの手立てです。この世が生きるに値する楽しい場所だと分かれば、子供自ら取り組むようになるでしょう。シュテファン・マイアー選手のように。さあ、お顔を拭いて下さい。一緒に教室を見に行きましょう。多分、他の子供達とゲームに興じているはずですよ」

【リファレンス】 吃音の天才シンガー スキャットマン・ジョン

緘黙症とは異なりますが、言葉の問題で真っ先に思い浮かぶのが、天才シンガーのスキャットマン・ジョンです。
心が壊れるほどの吃音に苦しみ続けたジョンは、自らの弱点をスキャットに活かし、スピード感あふれる独特の音楽を作り出しました。
私も初めて聞いた時は、器用なおじさんがペラペラ歌ってるだけかと思いましたが、エピソードを知って感動。
世界的なヒット曲、Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)も一度聞いたら忘れられないです。

現在は、YouTubeなどで、特訓の様子を積極的に公開されている方もあり、当人や社会の意識も大きく変わってきたように感じます。

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『曙光』上巻 ~”海底鉱物資源を採掘せよ”から”屁理屈だけは超一流”まで


 著者  石田朋子
 定価  --
 ページ数  1509ページ
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