帆船

36. 一つ一つの航海が心の糧 ~潜水艇の準備・未来を繋ぐ為に

運命とミッション

洋上での作業は非常に危険で、多くの人手を必要とするものです。
地上で機材を動かす場合、揺れや横波を心配する必要はありませんが、洋上の場合、足下は絶えず揺れ動き、風も強いです。波が高ければ作業場に浸水しますし、海中に落下すれば命の危険もあります。
海洋調査のスケジュールを組んでも、一度、嵐に見舞われればミッションは中止、予定していた作業の半分もこなせず、運が左右する部分も大きいです。

本作では、海象も物事を達成する為の運の一つと捉え、『フォルトゥナ(運命の女神)の娘』であるリズが現場に幸運をもたらすエピソードを織り込んでいます。
古来より、『海の女神』や『海の妖精』の伝説は古今東西で語り継がれてきましたが、ハイテク機器のない時代、荒れた海は悪魔の所業を思わす凄まじいものだったに違いありません。

不思議な巡り合わせでアステリアに流れ着いたヴァルターですが、振り返ってみれば、一つ一つのミッションが成長へのステップであり、生きた証だったことに気がつきます。その時、その時、無意味に思えても、確実に力として身についていたのです。

一度は生きる気力も正義感も無くし、どうにでもなれの気持ちで引き受けますが、その過程で「自分が何ものだったかを思い出す」、それがこのパートの核です。

このパートは海洋小説『曙光』の抜粋です。

詳しくは作品概要とタイトル一覧をご参照下さい。

冒頭部の無料サンプルはGoogle Drive からDLできます。

【あらすじ】 未来を接続する

好天の中、ついに採鉱システムの揚鉱管、高電圧リアクター、集鉱機を水中で繋ぐ接続ミッションが始まる。
一度は失職したが、不思議な運の巡り合わせで再び潜水艇プロテウスを操縦する機会を得たヴァルターは、感慨も新たに、大学生のエイドリアンを伴って耐圧殻に乗り込む。

【抜粋】 一つ一つの航海が心の糧

接続ミッションを前に、格納庫では潜航の準備が進む。
潜水艇プロテウスを前に、ヴァルターは不思議な巡り合わせと心の旅路を思う。

プロテウスは梯子付の白い作業台に固定され、重要なミッションを待っている。
それは彼の知っている海洋調査とは異なるが、鉱業を変える世紀の瞬間だ。

アル・マクダエルの構想が正しければ、プラットフォームによる海底鉱物資源の採掘は市場に劇的な変化をもたらす。これまでネンブロットの鉱山の地下でしか採掘されなかったニムロディウムが、完全自動化された採鉱システムによって海洋底からも回収できるようになれば、製造や流通はもちろん、鉱山労働や企業の在り方まで違ってくるだろう。そして、それはニムロディウム市場を寡占し、政治経済まで牛耳ってきたファルコン・グループの一党支配を揺るがせ、新たな潮流を生み出す。

彼はクロムイエローの船体を見上げながら、「お前もずいぶん大きな仕事を任されたもんだ」と呟いた。
「地殻の割れ目を覗きに行くのではなく、未来を繋ぐんだからな」

彼の脳裏に、プロテウスに出会ってから今日までの道程が懐かしく思い出される。

運航部に配属された日、操縦士長に分厚いマニュアルをどんと積み上げられ、「一週間でマスターしろ」と言い渡された。そして、その通り、機能や構造はもちろん、配線の一本一本、ボルトの位置や種類に至るまでつぶさに記憶し、すらすら諳んじてみせると、操縦士長は目を白黒させ、すぐに操縦席に座らせてくれた。

あれから何度潜り、何度見つけただろう。

一つ一つの航海が心の糧だった。
だが、それも長い人生のほんの一ページに過ぎない。
この後も航海は続く。
だが、今度はもう少し自然に自分を委ねられるような気がする。

潜航開始:揚鉱管の降下

採鉱プラットフォームのタワーデリックとムーンプールでは揚鉱管の海中降下が始まり、甲板では潜水艇プロテウスの潜航準備が始まる。

やがてタワーデリックの方で大きな金属音が鳴り響くと、オペレーション室のマードックから揚鉱管の海中降下の準備が整ったと連絡が入った。
時計の針はきっかり午前八時を差している。

「OK。こちらもプラットフォームのポジションは万全だ。始めてくれ」

チーフオフィサーのブロディ航海士が答えると、その後ろでダグとガーフィールドも目を見合わせ、「いよいよだな」と声を掛け合った。
まず、ムーンプールのクレーンに吊り下げられた揚鉱用の水中リフトポンプがゆっくり海中に降ろされる。

高さ4メートル、縦横6メートルの格子型メタルフレームには12個の球状チャンバーが搭載されている。チャンバーは水圧をかけて揚鉱管に海水の循環を作りだし、管の内部を負圧にすることで海台クラストの泥漿を吸い上げる仕組みだ。

ポンプ底部の中心には長さ150メートルのフレキシブルホールが取り付けられ、その先端は重錘式のコネクターになっている。これを水深3000メートル下で集鉱機と接続するのがプロテウスのミッションの一つだ。

白いあぶくを上げながらリフトポンプが海中に沈むと、続いて、パイプラックに縦向きに収納されたライザーパイプがハンドリング装置のアームに一本ずつ掴まれ、タワーデリックのパイプラッキング・システムによって縦方向に高く持ち上げられる。さながら筆箱から機械の手で一本ずつ鉛筆を掴み上げるような要領だ。

それからドリルフロアに設置された「アイアンラフネック」と呼ばれる連結装置にピストン運動のように打ち込まれ、ネジが締結される。さらに油圧シリンダーで回転力をかけて完全に締め込み、パイプの連結作業が完了する。

一本のパイプを連結する所要時間はわずか十数秒だ。機械の流れだけ見ていると、深海に向けて細長いロケットを繰り出すようなイメージである。
水深3000メートルに到達するのに必要なパイプの数は約150本。単純計算すれば、一時間とかからないが、適宜、作業を一旦停止して、パイプ先端の位置や深度を確認したり、それに合わせてプラットフォームのポジションを調整したり、何段階もの安全確認が行われるため、実際には倍の時間を要する。また、潜水艇や無人機の降下とタイミングを合わせる為、各部署の進行状況を見ながら抽出のペースを調整する必要もある。

揚鉱管がリフトポンプの深さまで降下すると、一旦、ムーンプール直下で揚鉱管の先端とリフトポンプの上部を接続する作業が行われた。使用される無人機は、前回マルセルが用いた『ヴォージャ』だ。水深数十メートル下で接続が完了すると、ヴォージャは揚収され、再び揚鉱管の降下が始まる。今度は先端にリフトポンプが取り付けられている為、揚鉱管の抽出も慎重だ。

<中略>

プロテウスが最上位置まで吊り上げられると、フーリエから「着水させるぞ」の号令がかかり、Aフレームクレーンが海側いっぱいに降り出された。あっという間にプロテウスは海面に着水し、大きなラグビーボールのように波間に揺れる。
操縦席の覗き窓からは大量の水泡が見え、船体の大半が海面下に沈んだことを実感する。

続いてスイマーが船体の上部に接近し、突起金物からクレーンの索を取り外す。

その間にも、操縦席では高度ソナー、流向流速計、放射線測定装置、温度警報装置、前方探査ソナーなどの計器を次々にONにし、フーリエに再度状況を確認する。

「主索が完全に外れた。スイマーも引き上げたよ。水中通話機の感度はどうだ?」

「良好だ。こちらも完全に潜航の用意ができた」

タワーデリックのオペレーション室やブリッジの管制室でも準備万端が確認されると、フーリエから「潜入開始」の指示があり、彼はメインバラストに海水を注入する為のベント弁を全開した。これにより潜水艇の重量が増し、自然に海中に下降してゆく。

海水が注入されると、プロテウスはあっという間に海面下に沈み、10メートル、20メートルと潜航を始めた。

潜航速度は一分間に約45メートル、水深3000メートルのティターン海台まで約一時間の行程だ。

エイドリアンは左側の覗き窓からじっと海中の様子を見詰めている。

三度目の潜航とはいえ、あらゆる光が吸収され、鉄球をも押し潰す超水圧が支配する深海は不気味そのものだ。だが一方で、計り知れないほどのエネルギーに満ち、もう一つの宇宙の深淵を覗き込む如くである。

有人潜水艇:事故が起きたら中の人はどうなる?

採鉱プラットフォームのブリッジでは、マネージャーや航海士ら、後方支援のスタッフがマルチモニターで接続作業の様子を見守っている。
ヴァルターとエイドリアンの無事を願うリズは、サブマネージャーのガーフィールドから作業の内容を聞いて、激しく動揺する。

潜航開始から四十分が過ぎ、ガーフィールドが状況を伝える為にカンファレンステーブルの方にやって来ると、「よかったら、ミッションの段取りについて簡単に教えていただけませんか」と声をかけた。

ガーフィールドは得意げに彼女の隣に腰掛けると、 
「我々が接続ミッションと呼んでいるプロセスは三段階あります。まず最初に集鉱機に揚鉱管のフレキシブルホースを取り付ける作業。次に水中リフトポンプと揚鉱管の接続部に歪みセンサーを取り付ける作業。最後に高電圧リアクターの電源をONにします」

「高電圧リアクターですって?」

「あくまでリアクターの電源装置をONにするだけです。採鉱システムの通電は全ての接続作業が完了してから行いますから、海中で感電することはありません」

「潜水艇はどれくらい機械に接近するのです?」

「接続作業を行う無人機『クアトロ』はプロテウスのランチャーから発進して、有索で遠隔操作をします。ケーブルの長さは二十五メートルありますが、対象を目視する為、ぎりぎりまで接近するでしょうね。五メートルか、一〇メートルか。それはパイロット次第です」

「それほど接近すれば、潜水艇が揚鉱管や集鉱機に衝突する可能性もありますね」

「その可能性は決してゼロではありませんが、確率としては非常に低いです。なぜなら、船上で常に互いの座標を確認し、慎重にナビゲートするからです。潜水艇自体にも前方探査ソナーが備わっていて、障害物を検知したら自動的に推進装置が停止したり、危険回避の行動を取るようになっています。揚鉱管や集鉱機に機体が接触するとしたら、むしろ無人機の方が可能性が高いかもしれません」

「だけど、万一、潜水艇が接触したら、感電したり、爆発するのではありませんか?」

「採鉱システムはそれほど柔じゃありません。当然のことながら、悪天候や誤操作による接触事故も計算にいれて安全対策を施しています。たとえば、揚鉱管に接続するフレキシブルホースは金属ではなく、非常に強くて柔軟性に富んだ特殊樹脂で出来ています。万一、無人機が接触しても、多少の衝撃では折れたり曲がったりしません。それにミッションで直接操作する部分はコネクターとコンソールに限られますから、全速で機体に衝突でもしない限り、人命にかかわるような大事故は起きません。というより、現在の技術では人が歩くほどの速度しか出ないんですよ。それより、海上の波力や風力の方がはるかに巨大です。深海で本当に怖いのは、船体の位置を見失うこと、船体そのもののトラブルで浮上できなくなることです」

「潜水艇に故障が生じて、自力で浮き上がることが出来なければ、どうなりますの?」

「一応、五日間は耐圧殻のライフサポートが機能しますが、それを過ぎると、まあ、どうしょうもないですな。船外から水や食料を差し入れる訳にもいきませんし、体力的には三日が限度でしょう」

「そんな殺生な。中の人を見殺しになさるのですか」

リズが思わずヒステリックな声を上げると、傍らでアルが制した。

「落ち着きなさい、エリザベス。彼らは三度のテスト採鉱に成功し、プロテウスの運航も二十年以上、無事故でやってきた。皆を信用しなさい」

【リファレンス】 深海の有人潜水艇について

潜水艇の構造や潜航に関しては、ウッズホール海洋研究所の『Alvin』のドキュメンタリーが参考になると思います。

こちらはフランスの潜水艇『Nautile』の潜航の模様。このクロムイエローの船体が大好きなのです。深海にも、至る所に、雲仙や別府地獄めぐりみたいな所があるのです。ちなみに、本作ではJAMSTECの『しんかい』の手順を参考にしています。

こちらは無人機を使った深海調査です。前半部に、無人機のオペレーションの様子が映っています。本作では「ジム・レビンソンが泥酔して、後部甲板から海に落ちた」という設定ですが、採鉱プラットフォームもこんな感じで、柵のない場所がたくさんあります。特に重機や調査機器をランチャーするあたり。

北海で稼働している石油リグ会社のプロモーションビデオです。
洋上プラットフォームも一昔前は隔絶された世界でしたが、今はオンライン化で陸上の後方支援と密に連携し、リアルタイムの情報共有やオペレーションが可能です。
プロモーションビデオゆえ、ハリウッド風の演出になっています。

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上巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。

閲覧は無料です。モバイルでも表示可能。

『曙光』上巻 ~”海底鉱物資源を採掘せよ”から”屁理屈だけは超一流”まで



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ニムロディウムという架空の金属元素を中心に、鉱業、海底鉱物資源、深海調査、海洋情報ネットワーク、建築&デザインなどをテーマに描く人間ドラマ。水深3000メートルに眠るニムロディウムの採掘は世界を変えるのか。生の哲学を中心に海洋社会に生きる人々の願いと攻防を描きます。Google Driveにて無料サンプルPDFも配布中。

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