有人潜水艇と深海調査 パイロットの矜持 ~新しい仕事は慌てず、騒がず

有人潜水艇と深海調査  パイロットの矜持 ~新しい仕事は慌てず、騒がず

パイロットあっての深海調査

海洋調査といえば、もちろん、研究者の世界であり、世界的な発見を成し遂げるのも、新しい理論を立ち上げるのも、学者の功績です。

しかし、彼ら研究者を現場に送り出すのは、調査船のクルーであり、潜水艇のパイロットであり、整備士であり、一度の海洋調査に携わる人の数は計り知れません。

こうした後方支援の内助はなかなかスポットライトを浴びませんが、自らの航海が海洋科学の発展を支えているという矜持は一人一人の中にあると思います。

たとえ科学雑誌に名前が載らなくても、あの時、あの場に居た手応えは、一生心に残るのではないでしょうか。

【あらすじ】 接続ミッションと有人潜水艇

意匠の盗用を疑われて、故郷を追われ、潜水艇のパイロットの職も失ったヴァルターは、海底鉱物資源の採掘に挑むアル・マクダエルに見出され、採鉱プラットフォームの接続作業に参加することになる。
しかし、深海調査がメインと思い込んでいたヴァルターは、危険きわまる高電圧リアクターや揚鉱管の接続ミッションの内容を聞かされて激昂。
アル・マクダエルに悪態をついて、後部甲板に飛び出した時、有人潜水艇プロテウスの船体を目にする。

【抜粋】 有人潜水艇プロテウスと深海調査

※ 採鉱プラットフォームの作業甲板にて

作業台座に固定された船体は海洋技術センターと全く同じ、全長9メートル、幅2.7メートル、高さ3.5メートル。ツェッペリン飛行船のような形状で、鮮やかなクロムイエローの船体には黒いゴシック文字で『PROTEUS』と刻まれている。恐る恐る船体に手を伸ばすと、炭素繊維強化プラスチックの懐かしい手触りが感じられた。もう二度と目にすることはないと諦めていただけに、嬉しいというよりは不可思議な気分だ。

思えば、道を決めたのもプロテウスなら、活路を開いたのもプロテウスだ。

あれほど故郷に帰りたいと願ったにもかかわらず、その機会も脇に置いて潜水艇の仕事に打ち込んだのは、故郷と同じくらい深海に魅せられていたからだ。

デビュー戦は、惑星を南北に貫く北大西洋中央海嶺。入職から八ヶ月、必死の努力が認められて、試験潜航の機会に恵まれた。アイスランド北部で大地震があり、震源地の海底プレートを観察し、堆積物のサンプルを持ち帰るミッションだ。あの日の達成感と高揚感は今も鮮明に覚えている。

深海調査も、自立型無人潜水機(AUV)や遠隔操作が可能な有策水中無人機の著しい発達により、大部分が無人機に取って代わられ、お金も手間もかかる有人潜水調査の意義について取り沙汰されることが多い。

それでも、実際に人が潜って深海底を目視する経験は格別だ。

水中カメラや音波探査でも詳細なデータを得ることはできるが、人間のふとした「気付き」や「勘」が思いがけない発見をもたらすこともある。また、無人機では侵入の難しい複雑な地形も、有人潜水艇なら臨機応変に進路を変更し、深部まで近付くことができる。

無人機がどれほど発達しようと、有人潜水が完全に無くなることはあり得ず、熟練のパイロットはもちろん、通信ナビゲーター、クレーンのオペレーター、支援船を運航する乗務員の存在は大変貴重だ。

とはいえ、調査の主役はあくまで研究者であり、彼もいくら海洋学を修めたとはいえ、その分野の権威とされる科学者から見れば、一介のパイロットに過ぎない。危険を呈して海底地形の複雑な所や、溶岩の流れ出す火口に接近し、学術的に非常に貴重なサンプルを持ち帰っても、その手柄は研究者のものであって、彼のものではない。

多くはパイロットの働きを心からねぎらい、「次もよろしく」と言ってくれるが、中には「言われた通りに操縦すればいい」という横柄な人もある。「今時、大学生でも自家用潜水艇で海底火山を見に出かけるじゃないか」などと失礼な事を言う人も。

大学生が自家用潜水艇で海底火山を見に出かけたからといって、それが何だというのだろう? 見るだけなら誰でも出来るが、「観る」となれば次元が違う。覗き窓の向こうをぼんやり眺めて、溶岩が流れ出す様を手を叩いて喜ぶ物見遊山とは根本から異なるのだ。

それに大深度の潜航では何よりも安全性が求められる。物見遊山の深海ツアーと学術調査の違いは、前者は前もって安全が確認されたコースを回るが、後者は未知の深海に赴き、必ずしも安全は保証されていない点だ。いろんな安全対策が施されているとはいえ、深海で自船の位置を見失い、身動きがとれなくなれば、生命の危険を伴うし、深度が大きいほど救助される可能性も低くなる。一三〇時間を過ぎれば、酸欠と低体温で間違いなく命を落とすだろう。

また、超水圧の深海では、些細な亀裂でも瞬時に船体を破損する恐れがあり、部品や電気系統のトラブルに対して的確な処置が出来る能力も必要とされる。大学生が自家用潜水艇で海底火山を見物に行く時代になったからといって、誰もが水深数千メートルに潜航できるわけではないのだ。

彼は非常に高いプロ意識をもって仕事に取り組み、器用にマニピュレータやプローブを使って、学術的に価値のある生物や堆積物のサンプルを数多く持ち帰った。動きが不安定な中、対象にぎりぎりまで近付いて、熱水活動や泥火山などのビデオ撮影もやってのけた。

心底から海を愛し、一つ一つの潜航に己の矜持をかけたからこそ、異例の早さで潜航回数120回を達成したのだ。

アル・マクダエルの言う通り、自分が何ものかを思い出すのはいつも海の上だ。その想いがあればこそ、採鉱プラットフォームに来て、もう一度、人生をやり直そうという気にもなった。

それがどうだ。ここまで来てみれば、海洋調査ではなく揚鉱管の接続という。 

新しい仕事は慌てず、騒がず:完全主義に余裕なし

※ 上述の続き

「まあ、落ち着けよ。刑務所の電気椅子じゃあるまいし、接続した途端、高電圧を流すわけがないだろう? 通電するのは君たちが海上に揚収され、オペレーションルームで十分に安全を確認してからだ。万一漏電したら、数万ボルトの高電圧が揚鉱管を伝って採鉱プラットフォームを直撃するんだからね。それに、当日は管制室やオペレーションルームから四十人以上のスタッフがフォローする。一カ所でトラブルが起きても、すぐさま全体に波及することはない。ステラマリスの深海調査もそうだろう。落ち着いて考えれば、みな分かることだ」

彼はプロテウスの船体にもたれ、宙の一点を見詰めていたが、「情けないな」と口を尖らせた。

「以前の俺はもっと泰然としてた。あそこに行け、ここに行けと言われても、動じなかった。それだけ自分の技量に自信があったからだ。だが、今は以前のような気持ちになれない」

「君も完全主義だな。プラットフォームには今日来たばかり。接続ミッションはさっき聞いたばかり。それで自信満々にやれる人間がいたら、そいつは優秀じゃなくて、ただの無知だ。君は確かな知識と技術があるから、海中作業の危険性が理解できるんじゃないか。誰も明日から完璧に操作するなど期待してない。でも、君は自分が許せないタイプなんだな。世間ではそういうのを『完全主義』って言うんだよ」

「完全を目指しているつもりはない」

「だが、自分の弱さや欠点が許せないだろう。今日からでも完璧に操作できなければ、自分は駄目だと思い込む。理事長に突っ掛かるのも、本当は怖いからだ。でも、自分で認めたくないから、理事長の対応が悪いと言い張ってる。まあ、事前に十分説明しなかったのも本当だろうがね」

「……」

「怖いなら怖い、出来ないなら出来ないでいいじゃないか。さっきも話したように、僕らにはオール無人機という選択肢もある。これから六週間、全力を尽くして、君がどうしても無理と判断するなら、それでいいんだよ。完全主義も上手に生かせば、人より優れた仕事が成し遂げられる。良い風に考えれば、それだけ向上心があって、努力家ということだからね。とりあえず中に入ってみないか。物を見れば、君も納得するはずだ」

【リファレンス】 いとしの潜水艇

一番近づけるのはパイロットの気持ち。
次に、研究者。
最後に、海の深み。

しんかい6500 油で満たされたケーブル類しんかい6500 マニピュレーターしんかい6500 耐圧殻 正面しんかい6500 JAMSTECにてしんかい6500 全景

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上巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。
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『曙光』上巻 ~”海底鉱物資源を採掘せよ”から”屁理屈だけは超一流”まで


 著者  石田朋子
 定価  --
 ページ数  1509ページ
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