二つの正義と罪の平原 文明を支える鉱業とそれを利用する人々の責任とは

二つの正義と罪の平原 文明を支える鉱業とそれを利用する人々の責任とは

相反する二つの正義

議論が荒れる理由は一つしかありません。相反する二つの意見がどちらも『正義』だからです。
もし、窃盗や詐欺のように、一方の不正が明白であれば、そんな論争はすぐに終結するでしょう。誰がどう見ても、盗み、騙す方が悪いからです。
しかし、イデオロギー VS イデオロギーのように、どちらが絶対正義ともいえず、双方に言い分がある場合は、ジャッジを下すのは難しいです。
私たちはどうしたって自分の信じるものには贔屓目になるし、自分と異なる考えは間違いと決めつけがちだからです。

一つの正義が立てば、その対岸に、必ず相反する正義が立つ。

未来永劫、その構図は変わりません。

多くの争いは、善悪ではなく、力の強弱によって決着がつきます。

象と蟻が争って、たとえ蟻が正しくても、象の方が強ければ、象が正義の側に立ちます。

映画『ブレイブハート』でも、冒頭で「歴史は常に勝者の側から語られる」という台詞がありましたけど、果たしてどちらが正しかったかは、検証に検証を重ねても、あっさり黒白がつくものではないでしょう。みな、自分は正義の側だと信じている。自らの主義主張を離れて、物事を俯瞰する知力があれば、そもそも悲劇など起こりようがないと思いませんか。

本作では、宇宙文明を支える稀少金属ニムロディウムをめぐり、その一大産地であるネンブロットのニムロデ鉱山を手中に収めた巨大企業ファルコン・マイニング社と、彼らの一党支配に技術で対抗すべく、海底鉱物資源の採掘に乗り出したMIG(マクダエル・インダストリアル・グループ)の挑戦が描かれます。社会的、人道的には、MIGの方が正しいことをしている――と、誰もが思うでしょう。

しかし、鉱業局の調査員に言わせると、ファルコン・マイニング社も、彼らの横暴に異議を唱える人々も、ネンブロットの鉱山労働者の犠牲の上に成り立っている事実に変わりありません。どちらが正義を主張しようと、使い捨てにされる鉱山労働者から見れば、同じ責を負っているのです。

正義は、相反する『悪』の存在があって初めて、正義となり得る部分があります。

正義にこだわることは、悪の存在を際立たせることでもあり、そのことが事態をいっそう複雑かつ深刻にしているのではないでしょうか。

そうではなく、どちらの側でもない、真ん中の平原に立てば、新しい道筋が見えてくる……とういのが鉱業局の調査官の教えです。

このパートは海洋小説『曙光』の抜粋です。
詳しくは作品概要と記事一覧をご参照下さい。
冒頭部の無料サンプルはGoogle Drive からDLできます。

【あらすじ】 対岸でにらみ合う二つの正義

海洋情報ネットワークの構築が着々と進む中、鉱業局のマイルズ調査官が採鉱プラットフォームの視察にやってくる。
先だって、ファルコン・マイニング社のロバート・ファーラー社長が公共放送でMIGと採鉱プラットフォームを「開発事業の独占」と揶揄し、それに追随するような批判記事が一般紙に掲載されたからだ。
鉱業局はファルコン・マイニング社の言いなりという噂もある。
現場に動揺が広がる中、ヴァルターは、アル・マクダエルの指示で調査に随行する。
だが、調査官と話すうち、ヴァルターは川越しに睨み合う「二つの正義」に気付き、フラットな物の見方を教えられる。
それはまたアステリアにおける彼の立ち位置を示唆するものでもあった。

前のエピソード

【抜粋】 罪の平原に立てば、人はみな同じ

アステリア・エンタープライズの応接室で、鉱業局から派遣されたマイルズ調査官と、補佐のサリー調査官と向かい合う。
鉱業局に好い印象をもたないヴァルターは、今度の調査もマイニング社の差し金と思い込み、つい突っかかる。

鉱業局の視察

二人の調査官が革張りの応接ソファに腰掛けると、ヴァルターは前日にセスから受け取った「鉱業権および鉱区台帳管理に関する施行細則」の資料を思い返し、マイルズ調査官の顔をまじまじと見詰めた。

アステリアに来てから、ネンブロットといい、ニムロデ鉱山といい、鉱業に関して明るい話は聞いたことがない。

それで彼もどんな悪人が来るかと想像していたが、マイルズ調査官の真摯な眼差しを見ていると、袖の下いかんで報告書をでっちあげるような人物には到底思えない。
実際を知らない人が風評だけで採鉱プラットフォームを非難するように、鉱業局も過去のイメージだけで語られている部分が往々にしてあるのではないか――。

そんな彼の視線にマイルズ調査官も気付いたが、特に気に留めることなく、ミズ・ケアリーの運んできたコーヒーに口をつけると、
「今度の調査では有名なアル・マクダエル社長にお目にかかれるのを楽しみにしていたのですが、現在、トリヴィアで静養中とのこと、まことに残念です」
と心底惜しむように言った。

「この三十年間、休暇らしい休暇を取ることもなく、働き詰めでこられましたから、さすがにお疲れになったのでしょう。今度ばかりは家庭医の指示に従って、心身を休めておいでです」

セスは年末にアル・マクダエルが生死の境をさまよったことなど、おくびにも出さない。

「とはいえ、完全に静養されているわけではなく、電話やメールで仕事の指示は出しておられますし、今日から調査が入ることもご存じです。近いうちに貴官ともオンラインでお話したいと仰っていましたので、その時にはこちらでセッティングさせて頂きます」

「そうですか。それは光栄ですな」

マイルズは湧き立つ気持ちを抑えきれないようにコーヒーを半分ほど飲んだ。

それから、セスの隣に座っているヴァルターをちらと見遣り、「そちらの方は幹部候補生?」と聞いた。

セスが答える前に、彼が口を開き、

「海洋情報ネットワークの構築を手がけています。アステリアにもMRDSのようなシステムを導入したいと準備しているところです」

「ほう、MRDSを?」 

マイルズが興味をそれたように身を乗り出すと、
「海台クラストの採鉱が本格化して、海底鉱物資源のみならず、ガスや火山噴出物など天然資源への関心が高まっています。それでアステリアにもMRDSに似た情報共有サービスを開設し、海運、観光、製造業など、多方面に役立つ知的インフラを築くのが目的です」

「それはまた壮大だね。MRDSもかなりの規模だが、その他の分野も包括するとなれば数十億単位の予算が必要だろう。すでにトリヴィア政府の認可は取り付けているのかね」
「……いえ」
「そうだろうね。経済特区としてのアステリアはまだスタート地点に立ったばかりだ。政府の本音を言えば、そこまでこの未開の地に金を使いたくはない。下手に力を持たせると、よその宇宙植民地みたいに自治だ、自立だと騒ぎ出すからね」

「自治権を求めるのは当然でしょう。アステリアの共同体も大変な勢いで拡大しています。再来年にも人口が十万を突破しようという区政に自由な意思決定権を与えないのは、逆に不自然ではありませんか」

彼が熱血らしい口調で答えると、マイルズはコーヒーカップを受け皿に置き、

「自治というのは地域の経済基盤と精神的土壌が熟して初めて機能するものだよ。何でもかんでも独立すれば社会が幸福になるというものでもない。現に自治領府の経済的支援が打ち切られたら、ここもたちまち干上がるだろう。意思決定権に制限があるのは、狭い社会で一部の力が突出するのを抑制する意味もある。自治だ、自立だと求める以前に、まずは地域の社会基盤を確たるものにし、良質な帰属意識を育てないと。物事を自由にしたいが為に自治権を求めても上手くいきっこないよ」

「それはそうですが……」

「今、ここで君と自治権うんぬんについて議論しても埒があかない、我々もスケジュールが立て込んでいるのでね。まずは採鉱事業の話をしようじゃないか。正しい鉱業活動の在り方を知ることが、君の手がけている情報サービスの役に立つのではないかな」

マイルズは年輩らしい落ち着きで話題を切り替えると、数枚の資料をテーブルに広げ、海台クラストの本採鉱を受けて鉱業局から立ち入り調査の指示が出た経緯を明快に説明した。

その上で、現在、採鉱プラットフォームに対する安全性や環境問題が再び疑問視されている点を強調し、
「テスト採鉱で審査に合格したといっても、操業が本格化すればまた新たな問題が生じるものです。海底鉱物資源の採鉱システム自体、我々にとってはまったく未知のものですから、存在が認知され、安全性が証明されるまで厳しい目が向けられるのは致し方ありません。それは鉱業に限らず、航空でも、建設でも同じです」

「その点は理解しています」
セスは好意的に答えた。
「しかし、現場スタッフからすれば、昨年の三度のテスト採鉱、本採鉱前後の度重なる監査にパスしたのに、更にまだ何を調べるのかという違和感があります。それに何度も調査に入られると、スタッフ自身が懐疑的になる。ご存じのように、こういう仕事は自らの技術への信頼と誇りがなければ成り立ちません。そういう意味でも皆が不安を覚えるのです」

マイルズは同情しながらも、「我々は指示を受けて調査するのが仕事だからね」と論点をぼかす。

「でも、一部企業やカルテルの意向によって不当に鉱業権を停止されたという噂を聞かないでもないです」

すかさずヴァルターが口を挟むと、マイルズは苦笑し、

「それもよく言われることだ。会社側にしたら我々は不倶戴天の敵みたいなものだろう。中には鉱業権を停止された鉱山会社が裁判所に不服を申し立て、現在も訴訟が続いているケースもある。だが、実際には、悪質な鉱業活動によって労働者や地域住民に被害が及ぶケースが後を絶たないからね。先月もネンブロットのウレミア鉱区でミネラルサンドの採鉱を行っていた会社が硫化廃棄物の処理過程で基準値を上回る有毒ガスを発生させ、なおかつ従業員の定期検診を怠っていた事例があった。一年前にも同じ理由で指導していたにもかかわらずだ。当然、操業停止処分だよ。世間ではファルコン・グループや金属カルテルの寡占ばかり問題視されているが、法規で決められた処理設備を実際には稼働しない中小の鉱山会社や、比較的監視の緩い鉱区での手抜き操業、届け出のない闇採鉱も目に余るものがある。正当な事由で処罰されたにもかかわらず、それを転嫁したい人が鉱業局の不正を吹聴するケースもあるんじゃないかね」

そこに人間の可能性があったから

採鉱プラットフォームの立ち入り調査が一通り終わると、ヴァルターはムーンプールでマイルズ調査官と話し合う

その時、彼は背後に人の気配を感じ、手すりから離れて振り返った。

マイルズ調査官だ。

五十半ばのマイルズは夜の潮風が堪えるのか、カーキ色の厚手のジャケットを羽織り、襟首を立てている。今夜の外気温は十五度、大した寒さでないが、ムーンプールに打ちつける波音が冷気をもよおすのだろう。マイルズは太い首を亀のようにすくませながら、「やあ、君も夜の散歩かね。娯楽室で皆と一緒に飲まないのかね」と聞いた。
彼が軽く首を振ると、マイルズは彼の隣に並び、黄色い塗料が塗られた手すりから身を乗り出すようにしてムーンプールの奥底を覗き込んだ。

「それにしても、すごい迫力だね。本当にこの下は水深三〇〇〇メートルの海底なのかい?」

「本当です。何一つ遮るものはなく、真っ直ぐ海の底まで続いています」

「まるで宇宙の奈落だね。この年になって、こんなすごいものを目にするとは思わなかった。これまで様々な鉱山を見て回り、全長三〇〇〇メートルの世界最深の坑道にも入ったことがあるが、プラットフォームはまた違った意味で迫力がある。海洋のエネルギーを丸ごと吸い上げるような見事なダイナミズムだ」

彼が意外そうにマイルズの顔を見ると、マイルズは改めて採鉱システムを見回した。

「ここに来る前、プラットフォームに関するいろんな噂を聞いた。海中に重油や廃棄物を垂れ流しにしているとか、従業員は狭い船室にぎゅうぎゅう詰めにされ、風呂にも入れないとか。採鉱システムは不安定で、作業員は常に命の危険にさらされているとも聞いたが、重機はオペレーションルームで完全制御され、オペレーターはほとんど海に出ることもない。悪天候や非常時には半時間たらずで揚収するそうだね。長さ三〇〇〇メートルを超える鉄のパイプだ」

「二十年以上かけて改良を重ねたシステムです」

「ここに来る前、マクダエル社長と話したよ。ぶしつけなことも聞いてみた。これだけの採鉱システムを莫大な経費をかけて操業して、採鉱量はこの程度なら大した収益にはならないでしょう、と。苦笑しておられたよ。そんなことは三十年前から織込み済みだって」

「そうでしょうね」

「じゃあ一体、何が目的で始められたのです? と尋ねると、『そこに可能性が在ったから』。でも、よくよく聞けば事業の話じゃない、人間の可能性のことだ。人間の可能性を開くために何百億の投資を? すると、社長はこう仰った。『事業とは、突き詰めれば人間じゃないか』と。私も長年、様々な経営者や専門家や権威ある人と話をしてきたが、あんな言葉を聞いたのは初めてだ。一瞬、職務を忘れそうになったが、聞くべきことはきっちり聞かせてもらったよ。それで分かったのだが、マクダエル社長はティターン海台以外は採鉱する気がないんだね。三十年かけて掘り尽くしたら、いったん事業を休止して様子を見るかもしれないと仰ってた。まあ、その頃にはこれらの施設も老朽化して、採鉱の継続も困難になるだろうから、当然といえば当然だが」

「それは初めて聞きました」

「海には宇宙規模の価値があるそうだ。海の本当の価値が分かるのは、人類が滅び去ったその後だってね」

彼は我が耳を疑った。それは初めてアル・マクダエルに会った時、売り言葉に買い言葉で口にした文句ではないか。

「そう、それは君が言ったんだってね。あの方も苦笑いしておられたよ。『この年になってから、あんな言葉で噛み付かれるとは思わなかった』と。それで少し君のことも聞いてみた。真面目で優秀な幹部候補生に見えるのに、なぜ側に置かれないのかと。社長はこう仰ってたよ。『鉄は熱いうちに打てと言う。だが、熱い時に打ち損なった鉄はどうやって矯正すればいいのか。もう一度、激しく叩き直す? それとも使い物にならないと見捨てるか? 一番手っ取り早いのは、もう一度、溶鉱炉にぶち込むことだ。だが人間は鉄ではない。だから自分から変わるのを待っている』と。それもまた気の長い話ですねと言ったら、自分で悟得したものだけが確実だと仰ってた。それだけが真に人間を強くすると」

「……」

「賢哲な人だと聞いていたが、ほんの十分ほどの会話で、あそこまで人の精神に触れられる人も希有だね。人間というのは、一つのことにとことん従事すれば、あそこまで高められるものなのかね」

マイルズは素直に感銘を表すと、今一度、ムーンプールを覗き込み、

「わたしにはただの海水にしか見えないが、見える人には、いろんなものが見えるんだろうね」

罪の平原に立てば、みな同じ

※ 上述の続き。採鉱プラットフォームが処罰することを心配して

「あの……マイルズさん」

「なんだね?」

「ここは本当に大丈夫なんですか。鉱床情報を隠しているとか、安全性を無視しているとか、新聞やメディアで批判され、周りは必ずしも好意的ではありません。理事長に何かあったら家族が責任を追及されたり、プラットフォームの管理者が処罰されるのではないかと、いろいろ気掛かりで……」

「それは事業者次第だよ。法規に従えば問題はないし、破れば即座に責任を問われる、車の運転と一緒だ。交通ルールに従って運転する限り、むやみに処罰はされない。たとえ派手に電飾した大型トラックでもね」

「鉱業権も?」

「もちろん」

「それならいいんです。前に、鉱業局も大きな勢力とグルになって、ライバル企業を潰しにかかるという噂を耳にしたものですから」

「要は、MIGが正義で、ファルコン・マイニング社は悪だと言いたいのだろう」

「いえ、そんなつもりは……」

「誤魔化すことはないさ。君の立場からすれば、そう感じるのが自然だ。マイニング社にも社会的意義があり、鉱業活動を維持する真っ当な理由があるといっても、君は納得しないだろう。もっとも、それは君に限らず、世間一般に共通の感情だ。あそこまで企業イメージを損ねては、今更立派な理念を唱えたところで誰も信用しない。それについては、マイニング社の自業自得と言えるだろう。ところで、君はネンブロットを訪れたことがあるかね?」

「いえ」

「そうか。機会があるなら一度行ってみるといい。飛行機からもはっきり見て取れる巨大な露天掘りの跡を見れば、文明の本質がよく分かる」

「それほど大規模な鉱山が?」

「掘って、掘って、掘り返して、まだまだいろんなものが出てくるだろうね。惑星全体が鉱脈みたいな所だ。あと二世紀、三世紀と、鉱物資源の世界的供給地として役割を果たすだろう。人間の文明は『石』から始まったというが、今もearth(地)を土台に成り立っている点は変わらない。機械、建物、道路、ありとあらゆるものがネンブロットの鉱物から作られている。我々はまさに大地を食い尽くす貪欲な蟻だよ」

「あなたはどうして鉱業局を希望されたのですか?」

「社会科の自由研究の延長だ。小学校の時にネンブロットの鉱山をテーマに選んだ。学期末の宿題でね。資料が集めやすいと思ったんだ。しょっちゅうニュースで流れているから」

「予想通りでした?」

「子供の研究発表としては上出来だったよ。鉱山労働者の健康問題に関するニュース記事を切り抜いて、社会正義を叫ぶだけで、教師は満点をくれた。両親も大喜びだ。だが現実はまったく違っていた。初めてネンブロットを訪れたのは高校生の時だ。家族旅行で北極近くにある氷のホテルを訪れた。あのエリアでは氷原の地下を掘って鉱物を採掘している。周辺の熱エネルギーを利用して宿泊施設を運営しているんだ。私も家族も大満足で、小学校の自由研究のことなどすっかり忘れていたよ。だが、いよいよ帰りの日が近づいて、父親に『他に回ってみたい所はないか』と聞かれた。その時、ふと思い出したんだ。ニムロイド鉱床の中で最も過酷と言われるヴォラク坑道のことを。そこは特に高濃度のニムロディウムが産出することで知られている。だが、地中の奥深くまで達するので通常の重機は入れない。人の手で掘り返している。まるで装甲みたいなマシンを使ってね。環境に問題はない。空気は清浄で、水も新鮮なものが絶えず補給されている。だが、長時間、何年も、二〇キロ近いマシンを担いで岩盤を掘り続ければどうなるか、君にも分かるだろう? 彼らの仕事は長く続かない。そして辞めた後も健康障害は続く。マイニング社は言う。常に坑内の環境には留意し、従業員には検診も受けさせていると。だが、きれいな空気を吸い、きれいな水を与えられても、代わりにマシンを担いでくれる人間はない。肩が痺れ、手先が震えても、稼ぐために掘り続けなければならない。そしてマイニング社も坑道を閉鎖するつもりはない。世界中がそれを必要としているからだ。世間は鉱山労働者を守れと声高々に叫ぶ。だが一方で、ニムロディウムを使った製品も欲しい。矛盾というなら、世界そのものが矛盾だよ。君だってマイニング社に疑問を感じながらも、パソコンは使うだろう。性能の良い新製品が出れば、楽しみに買いに走るはずだ。そこにヴォラク坑道で採掘されたニムロディウムが使われていたとしても、そんなことまで気に留めない。一時期、義憤は覚えても、やはり便利な生活を取る」

「確かに……」

「罪深いというなら、我々みんなが罪深い。皆が求めるから、マイニング社も存在し続ける。鉱業局に入ったのは、そういう動機からだ。小学生の正義感では到底解決し得ない問題と正面から向き合ってみたかった。誰だって自分は正義の側だと信じたい。自分は物事を正しく理解し、正しい感性を持っていると。だが、ネンブロットの平原に立てば、みな同じだ。あそこを見れば、どんな正義の叫びも空しく感じる。『だって、お前もここで採掘されたものを土台に暮らしているじゃないか』。わたしは今でもその答えを探している。何が正しくて、何が救いになるか。わたし一人が答えを見出したところで、世界は少しも変わらないかもしれない。だが考える。真実の答えを探求する。その為だけに存在する人生があってもいいのではないかね? 勝ちも負けもない。ひたすら探し求める人生だ。君がどんな青春を歩んできたかは知らないが、こうと決め付けるには早過ぎるんじゃないかね」

「正しいことが報われなくても?」

「だから言ったろう。ネンブロットの平原に立てば、みな同じだと。今、君は自分の正義が報われなかったように感じている。だが、正義とは報われる為にあるものか? 行動するためにあるのだろう」

彼の脳裏に、風雨の中、堤防を守りに戻った父の姿が浮かんだ。あの時、父は自分の正義が報われるかどうかなど考えもしなかっただろう。ただ行動しただけだ。息子に自身の生き様や哲学を示すために。

マイルズは薄くなった頭髪を掻きながら、
「わたしは自分の人生において一つだけ深く後悔していることがある。それは目の前の問題ばかりに集中して、後に続く者のことはあまり気に掛けなかったことだ。その点、マクダエル社長は幸せな人だね。人を育てる喜びも知っている。あの人の目から見れば、君は『打ち損なった鉄』のようだが、今に分かるんじゃないかね、あの人が君を呼び寄せた訳が。それじゃあ、そろそろ失礼するよ。明日は午前八時から調査再開だ。まったく慌ただしいことだ」

【リファレンス】 PER ASPERA AD ASTRA

本作に登場する PER ASPERA AD ASTRA もしくは AD ASTRA PER ASPERA は、「ラテン語名句小辞典」によると

人生の多くの困難を克服し、大きな名誉を獲得し、神々の側に列せられること。セネカ『狂えるヘラクレス』では、ヘラクレスの妻メガラがヘラクレスについてnon est ad astra mollis e terris via 「大地から天への道は緩やかではない(険しい)と言っている。なお、見出し句は、米国カンザス州のモットーとなっている。

同様の名句『PER ARDUA AD ASTRA』(艱難を経て星へ)は、英国空軍のモットーです。

Royal Air Force (RAF)

PER ARDUA AD ASTRA 英国空軍

PER ARDUA AD ASTRA  艱難を経て星へ

Photo : http://fav.me/d5wh1ww

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上巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。
閲覧は無料です。モバイルでも表示可能。
『曙光』上巻 ~”海底鉱物資源を採掘せよ”から”屁理屈だけは超一流”まで


 著者  石田朋子
 定価  --
 ページ数  1509ページ
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