オランダ 締切堤防

9. 数百年に一度の水害に備えて ~絶対に大丈夫となぜ言い切れるのか

数百年に一度の水害に備える

自然災害に関しては、予測ほど当てにならないものはないと思います。

机上の計算では許容範囲でも、実際に起こってみれば、予想をはるかに超える被害がもたらされることもあります。そもそも、高度なコンピューティングシステムを使って、精密な値が得られるようになったのも、ここ数十年ほどの話で、データ的には一世紀の歴史もありません。日本で起きた数々の大噴火や大地震も、古文書や歴史書が当時の被害をわずかに伝えるのみで、津波の速度や高さ、断層のずれ、プレートの動きや形状など、詳しい情報が得られるようになったのは20世紀以降です。

まして地震や噴火など、大規模な災害に関しては、10年、20年の短いスパンでデータを比較したところで、メカニズムを完全に理解することは困難だし、数十年先、数百年先の未来まで正確に言い当てることはできないでしょう。

スーパーコンピュータを使った高度な解析は近年始まったばかり、46億年の歴史をもつ地球に対して、まだまだ駆け出しのレベルと言わざるをえません。

そんな中、『絶対に大丈夫』などと、どうして言えるのか。

海も大地も何千年、何万年の長いスパンで活動を続けています。

人間にとっての今日明日など、地球にとっての瞬きに過ぎません。

大地が地下に溜まったマグマを吐き出す間隔が数百年おきとしたら、地球規模の天候異変も千年おき起きても不思議はない。その千年の”間”を、どうやって人間が知り得るのか――という話ですね。

世間の思惑は目先の利益に向きがちで、『数百年に一度』の備えはどうしても後回しにされがちです。

自分たちの代さえ安全ならそれでいいのか、私たちは常に自身と社会に問いかける必要があります。

このパートは海洋小説『曙光』の抜粋です。

詳しくは作品概要とタイトル一覧をご参照下さい。

冒頭部の無料サンプルはGoogle Drive からDLできます。

あらすじ

海に近い干拓地フェールダムで一家は平和に暮らしていたが、年々深刻化する異常気象や水位上昇、施設の老朽化などを踏まえて、土木技師であるグンターと治水研究会は自治体に対して締切堤防の補強工事を進言するが、自治体は川向こうの可動式大防潮水門の整備を優先し、補強工事は後回しにする。
身の危険を感じながらも、フェールダムという地域に根をおろして幸せに暮らす家族のことを思うと、すぐに遠くに引っ越す気にはなれない。
そんなグンターに対し、火山学者で、数々の災害を目の当たりにしてきた父は「それと同じことを、火砕流で埋まった町の住人も言っていた」と強く言って聞かせるが……。。

【抜粋】 治水と堤防管理 数百年に一度の水害に備えて

地元の締切堤防の補強工事を求めて治水局や自治体に訴えかけるが、要望は無視され、二年後に行われる国際自転車競技の為に川向こうの可動式大堤防の修復が優先される。

グンターは上級技師の試験に合格し、治水局でも立案を司るワンランク上の職務に昇級した。治水研究会でも地元の有識者や土木技師らと連携し、中心的な役割を担うようになっている。

関係者の目下の懸念は、ここ数年の異常気象と、フェールダムの生命線とも言うべき締切堤防の老朽化だ。

以前からフェール塩湖や河川の水位上昇が指摘されてきたが、ここ数年の突発的な集中豪雨と潮位の異常はネーデルラント南部に限ったものではなく、近隣諸国でも問題視されている。

フェール川河口に締切堤防が築かれてから、はや四世紀。幅一七〇メートル、全長三キロメートルに及ぶ頑丈な作りだが、最後に大規模な補強工事が行われてから八十年以上が経過し、その間にも河川や気象は大きく変化している。締切堤防だけでなく、沿海の盛土堤防や町中の排水施設も同様だ。

とりわけフェールダム北部沿岸の盛土堤防のように、七世紀も前に造設され、何期にも分けて盛土を施したような旧式の堤防は、定期的に補強しないと想定外の水害を引き起こす恐れがある。

高潮で盛土堤防が越水し、干拓地に大量の海水が流れ込んで、塩湖や町中の運河の水位が一気に上昇すれば、頑丈な締切堤防も非常に危険な状態になる。これに高潮が加われば、幅一七〇メートルのコンクリートダムでもひとたまりもないだろう。

また干拓地そのものも自身の重みで年々地盤沈下しており、フェールダム一帯の治水能力が落ちているのは明白だ。一刻も早く計画高水位を見直し、各施設の補強を急ぐ必要がある。

治水局でも政務担当官らが第二次デルタ計画の準備委員会に加わり、問題点の整理や計画立案に当たっているが、大都市の高機能堤防のように、幾つもの河口に跨がって築堤されている重要施設ばかりが優先され、フェールダムのような人口七千人の干拓地の盛土堤防や、中規模な締切堤防は後回しにされがちだ。また五年後にはフェールダムの東側にある可動式大防潮水門で国際自転車競技が開催されることもあり、州やイベント関係者としてはそちらの改修を急ぎたい。

先日も、自治体の代表や専門家を交えて話し合ったが、結果は何時もと同じだ。七千人が暮らす干拓地の安全より、数日で終了する自転車競技の方が重要だとでもいうのだろうか。

そんなグンターにカールスルーエの父が言う。

「まだ引っ越す気はないのか」

「それは無理だよ。ヴァルターもサッカー仲間と楽しくやっているし、僕とアンヌも地域社会との繋がりが深まって、ようやくこの町の一員になれた手応えを感じているところだ。懸念は分かるが、そんな簡単に住まいは移せない。ヴァルターも嫌がるだろう。治水のことは皆で力を合わせてやっている。ある程度は予測も立つし、いざとなればカールスルーエに避難することもできる。もう少し様子を見たい」

それと同じことを、火砕流で埋まった町の住人も言っていた。今すぐ大噴火など起こりっこない、ある程度の予測は立つはずだと。だが、人間が予測できる範囲は限られている。まして水や火を完全にコントロールすることは不可能だ。水位が急上昇し、ひとたび越水が始まれば、何所にも逃げようなどないんだよ

【リファレンス】 オランダの堤防と美しい干拓地

こちらがモデルとなった締切堤防。全長三キロメートルで、海と広大な河口を完全に仕切っています。仕切った河口は、ほのかに辛い塩湖となり、ウィンドサーフィンやボート遊びのメッカとなっています。水も堤防で仕切ったとは思えないほど透明できれいです。内側には自動車専用道路が走り、沿岸の南北を結ぶ交通の要所でもあります。

オランダ 締切堤防

遠くに見えるのが防潮水門。これも広大な河口を仕切り、水位を調整しています。第一次デルタ計画で防潮水門や締切堤防が建設される以前は、しばしば悲劇的な水害に襲われました。もしオランダの排水施設が完全にストップしたら、約三ヶ月で、西側一帯が冠水するといわれています。

オランダ 砂浜と可動式防潮水門

こちらはモデルとなった海の風景です。砂浜が素晴らしく綺麗で、地元では有名なビーチリゾートです。ただし、風が非常に強いので、日本人的な感覚では寒いと感じるかも。カイトサーフィンのメッカです。厳冬期の寒さは筆舌に尽くしがたいでしょうね。

オランダ 海岸

レストランやサマーハウスもあります。

オランダ 海岸 レストラン

サイクリングやマラソンで賑わう締切堤防の天端。見晴らしもよく、市民の憩いの場です。

オランダ 堤防 自転車道

写真で見ても分かるように、オランダは海沿いも内地も非常にフラットです。満潮時と干潮時では、砂浜の面積が数倍も異なります。つまり、少しでも潮位が上昇すれば、物凄い勢いで水が流れ込んでくるのです。堤防や防潮水門がなければ、数十センチの潮位上昇でも、干拓地には脅威となります。1953年の大洪水の模様はこちらのサイトで詳しく紹介されています。
Josnoオランダ講座 『オランダ 1953年の大洪水 歴史の勉強をしてきました』

オランダ 砂浜 海岸

オランダ 砂浜 海岸

Nederland=低地=オランダ、その名の通り、町が水面より低い位置にあります。
間近で見ると、よくこんな所に住む気になったなあと思います。

オランダ 堤防 干拓地
Photo : https://goo.gl/ta68eH

防潮堤防によって作り出された湖

オランダ 堤防 湖

スヘルデ河口を仕切る締切堤防

オランダ 堤防 湖

堤防は、まさに社会の生命線です。
確かに、何年、何十年、時には何百年と、何も起こらないかもしれない。
しかし、ひとたび決壊すれば、その被害は計り知れません。
いつ訪れるか知れない、何千日、何万日かの、たった一日、あるいは一夜の為に、何億もの費用を出して、「その日」に備えるのは無駄なように見えますが、堤防が決壊すれば、それ以上のものが失われます。
今日の油断は、子孫のツケなのです。

オランダの水害 大洪水

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『曙光』上巻 ~”海底鉱物資源を採掘せよ”から”屁理屈だけは超一流”まで



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ニムロディウムという架空の金属元素を中心に、鉱業、海底鉱物資源、深海調査、海洋情報ネットワーク、建築&デザインなどをテーマに描く人間ドラマ。水深3000メートルに眠るニムロディウムの採掘は世界を変えるのか。生の哲学を中心に海洋社会に生きる人々の願いと攻防を描きます。Google Driveにて無料サンプルPDFも配布中。

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