この会社で働いていると胸を張って言えるのか ~経営者の倫理と法令遵守

この会社で働いていると胸を張って言えるのか  ~経営者の倫理と法令遵守

人間は労働を通して社会的存在になる

今ほど経営者の倫理と法令遵守が叫ばれている時代もありません。
ITの発達で、今まで隠れていた問題や、現場の生々しい声が、表に出るようになった理由も大きいでしょう。
長時間労働や安月給が人の心に及ぼす影響も計り知れないと思います。
でも、一番踏みにじられているのは人間としての尊厳でしょう。
仕事もなければ立場もないのは、社会的に死ねと言われているのと同じですからね。
人は労働を通して社会的存在になるという言葉がありますが、その社会観も崩壊し、結果を各自が負う世の中になれば、次にやって来るのは無政府状態でしょうか。マッドマックスみたいに暴力が支配するのではなく、政府から権威も統率力も失われ、法律はあっても実効性がなく、暗黙と放置がまかり通る世界です。
このままコロコロと坂を転げ落ちて行くのか、それとも新たな可能性が開けていくのか、私には分かりませんけども、果たして、自尊心を著しく傷つけられた人間が大多数を占める社会が再起できるのか、誰が音頭を取ろうと、もうそれに付いて行ける希望も気力も残されてないような気もします。あまりに消耗しすぎて。
未来の為にできる最大の努力は、せめて人を大切にすることでしょう。絶望からは何も生まれません。

このパートは海洋小説『曙光』の抜粋です。
詳しくは作品概要と記事一覧をご参照下さい。
冒頭部の無料サンプルはGoogle Drive からDLできます。

【あらすじ】 この会社で働いていると胸を張って言えるのか

ウェストフィリア近海の深海調査を通して、徐々にスタッフの士気が向上する中、ファルコン・マイニング社のロバート・ファーラー社長が視察にやって来る。海洋調査の意義や、それによってもたらされる公益をまるで理解しないファーラーの態度に怒りを覚えながらも、ヴァルターは冷静に話し合いに応じる。
しかし、精密なデータ収集に努めるスタッフにファーラーが突きつけたのは、とんでもない要求だった。

【抜粋】 企業倫理と法令遵守 社長に本物の勇気があれば

深海調査の準備に余念が無いヴァルターは、視察にきたファーラーの執務室に呼び出される。

不意にデスクのインターホンが鳴り、女性事務員が来客を告げた。

アル・マクダエルの飼い犬か――。

ファーラーは回転椅子ごと向きを変えると、彼を迎え入れた。

木訥とした表情で入ってきたのは、存外、ハンサムで体格のいい男だった。
ぶっきらぼうに前髪を伸ばしているが、碧い瞳は冴え冴えと輝き、一目で知能の高さが伺い知れる。そのくせ口元には甘やかな優しさがあり、タヌキの娘が夢中になるのも頷ける話だ。

まじまじと彼の顔を眺めていると、
「あんた、けっこう、綺麗な顔をしてるね」
と先方から口を開いた。
「もっと、あくどい面構えを想像してた」
「それは光栄だ。わたしもイメージで語られることが多くて、困惑している」

ファーラーは回転椅子から立ち上がると、「ロバート・ファーラーだ」とデスク越しに手を差し出した。
彼も握手で返し、「ヴァルター・フォーゲル」と名乗ったが、
「堂々と実名を名乗ればいいじゃないか」
ファーラーは薄笑いを浮かべた。
「君にもその資格はあるんだ。勿体ぶることはあるまい」

「勿体ぶるも何も、俺はグンター・フォーゲルの息子で、それ以上のものでも、それ以下のものでもない。他から何を授かろうと、俺は父の名を大事にしてるだけの話だ」

「父親思いだね」

「あんたの父親は?」

「いるよ。世界中の誰もが知ってる。ファルコン・グループの名誉会長だ」

「だったら、長寿だね。羨ましいよ」

「そうかね」

「羨ましいさ。生きて何かを成す以上に価値あることはない。志半ばで命を絶たれた俺の父はさぞかし無念だったろう。それに引き替え、あんたの父さんは他人の倍ほど長生きして、世の中をひっくり返すほどの権力も財力も持っている。俺の父にそれほどの運と力があれば、洪水も指先一本で堰き止めただろう」

「君の父君はさぞかし立派な人なんだろうね。息子の君が心酔するほどに」

「その通りだよ。立派すぎて、天にも深く愛された。もっと利己的に生きれば、天国の門も叩けず、倍ほど長生きできただろうに」

「つまり、わたしの父は、天にも上がれないほど欲深いということかね」

「地べたを這ってる人間はみな似たり寄ったりさ。俺も非を挙げればキリがない。だが、この世に生きているということは、まだ何かを成すチャンスがあるという事だ。開発公社も良い方に力を使えば、万人の役に立つ。それもこれも、あんた達、トップの人間の腹ひとつだ」

「今、君と道徳について語り合っている暇はない。私も多忙な身でね。手短に話そう。思うに、君は少々独善的で、誤った価値観に取り付かれている。その事をもう少し自覚してもらえないかね」

「誤った価値観?」

「企業には企業の方針があり、何を為すべきかは企業のトップが考える。経営権も地位もない人間にあれこれ口を挟む筋合いはない。まして君は行政の責任者ではないし、アステリアの区民でもない。いったい、どんな権限があってウェストフィリア開発に首を突っ込むのかね」

「それは、あんた達が本来やるべき事をやろうとしないからだよ。俺もここに来るまでは一方的に物を見てた。だが、先入観を抜きにすれば、ウェストフィリア開発にも意義があると思い始めている。万人の役に立つと分かれば、人々も協力するだろう。同じ取り組むなら、正しい方向を目指して欲しい」

「だから、それが独善的だと言ってるのだ。正しいか、正しくないかは、我々が判断することだ。君が決めることじゃない。まして我々の代わりに広報してくれなどと、誰も頼んでない」

「俺一人が声を上げてるわけじゃない。社会の在り方に疑問を感じ、情報共有や企業説明の必要性を訴えている人は他にも大勢いる」

「だったら、なおさら事前に話し合いを持つべきだと思わないかね」

「問い合わせなら何度もしたさ。開発公社だけでなく、区政の窓口や海洋調査の関係者にも。それから、もう一人のミス・マクダエルにも、開発公社の担当者と話をさせて欲しいと何度もお願いした。話し合いに応じなかったのはそっちだろう。俺もオーシャン・ポータルを使って、あんた達の悪口を書き立てようなど微塵も考えてない。単なる絵日記だよ。調査の模様やウェストフィリアの風景を写真とテキストで綴る。ウェストフィリアがどんな所で、海洋調査には何が必要か、何をどんな風に調べるのか、一般にも親しみやすい形で紹介するだけだ」

「そして、無知な大衆を扇動するのが君の得意技だ。お得意の詩的な言い回しで、権威に噛み付き、有名人をこき下ろすことに快感を得ている。だが、そんなものはただの怨念だ。正義でもなんでもない。天下のファルコン・マイニング社に頭を下げさせれば、自分も大物になった気がするだけだろう」

「俺はそこまでさもしい人間じゃない」

「じゃあ、正義の人か」

「俺はただ、父が生きていたら『きっとこうしただろう』と思うことを実践しているだけだ」

「その父親が間違いだったら?」

「父が間違いかどうかは関係ない。俺がどう解釈するかの問題だ」

「もはや信仰だな。だが、そういう事は自分の中だけに留めておけばどうだ? 我々には我々のルールがあり、仕組みがある。君などに到底、理解できる話ではない」

「俺はあんたたちの社会やルールを根こそぎ変えようというわけじゃない。あんたの商売を妨害する気もなければ、横取りする気もない。俺はただ、一般人にも海洋調査や情報共有の重要性を理解してもらい、可能性に満ちた社会を作って欲しいと願ってるだけだ」

「結果的に我々の商売の邪魔になるなら同じことじゃないかね」

「なぜ一方的に邪魔と決めつける? もしかしたら、開発公社の活動にもプラスになるかもしれないのに」

「我々にどんな得があると言うんだね」

「理解が深まれば、人材と技術が育つ」

「理想論だ。海洋調査や情報共有の重要性を理解したところで、社会は何も変わらない」

「どうして? 会社の基本だろ? まさか、あんた一人で探鉱から製錬までやるわけじゃなし、人を使うなら、人を育てるのは当然じゃないか」

「世の中、真面目で、勤勉な人間ばかりではない。人並に給料をやっても、あわよくば、楽してさぼろうという働き手が大半だ。そんな連中に立派な理念を説いて聞かせても、明日の朝にはきれいさっぱり忘れている。期待する方が無駄というものだ。正直、会社というものは、一握りの秀才がいれば十分に事足りる。あとは決められた事を決められた通りにこなすだけでいい。この世の八割の人間は切り捨てるぐらいの気持ちでないと、とてもじゃないが経営など成り立たない」

「それが、あんたの会社で働いている従業員に対する気持ち?」

「彼らには人並みに暮らせるだけの給料をやっている。その人件費も、突き詰めれば、捻出しているのは、このわたしだ。一生感謝されてもいいぐらいだ」

「給料が全てじゃない」

「全てさ。それ以上に、会社に何を望む? 社長に頭を撫でられたら満足するとでも? 賞状か金一封か、どちらか選べと言われたら、九十九パーセントは後者を選ぶだろう。そして、わたしは九十九パーセントが満足するだけの給金を与えている。本当にマイニング社が悪徳企業というなら、なぜ彼らは辞めない? よそへ行っても、それ以上のものは得られないからだろう。つまり、そういうことだ。悪の手先と言われようと、従業員の大半は名誉より給料を選ぶ。わたしはその現実を理解し、合理的にやっているだけの話だよ。人材だの、技術だのは、報酬に付いてくるものさ。理念じゃない」

「だったら、あんたの会社が悪徳企業と呼ばれ、それが売り上げにも響いているのはどういう訳だい。金が全ての人間が寄り集まっているから、MIGにも技術で出し抜かれたんだろう。仮に採鉱量が減って、給与にも響けば、今までおべんちゃらを口にしていた重役も、蜘蛛の子を散らしたように逃げるだろう。我が身を捧げて会社を建て直そうなど夢にも思わない。いったい、あんたの会社に『わたしはマイニング社で働いています』と胸を張って答えられる従業員がどれだけいるんだ? 自分まで産業廃棄物の垂れ流しに荷担しているように見られて、肩身の狭い想いをしている人も多いんじゃないか。あんた、社員にそんな想いをさせて、恥ずかしくないのか? 採鉱プラットフォームでは、司厨部の下働きでもどこか誇りを持っていた。自分はアル・マクダエル理事長の下で働いている、世界があっと驚くようなプロジェクトの一端を担っているという自負だ。だが、マイニング社ではどれほど真面目に勤めても、世間に冷たい目で見られるだけだ。それでも会社にしがみつくのは、とおに家のローンを組んで、身動きがとれないだけだろう。そんな従業員があんたや会社に一生感謝するとでも?」

「自分の仕事に対する誇りは個人の責任だ。わたしが与えるものではない」

「だとしても、従業員に対する社会の評価は社長の責任だろ」

「どういう意味だね」

「俺が初めて採鉱プラットフォームを訪れた時、理事長が通りかかると、誰もが作業の手を止めて会釈した。中には、わざわざヘルメットを脱いで挨拶する人もあった。何も聞かなくても、皆この職場が好きで、それぞれの任務に誇りをもって取り組んでいる様子が窺えた。あんた、鉱区に顔を出しても、誰一人、会釈なんかしないだろう。いつもボディガードで脇を固めて、防弾ガラス付の後部座席で亀みたいに首をすくめて視察してるんじゃないか? そんなので社長をやって楽しいか? 陰で憎まれ、蔑まれ、力で不満を押さえつけるのがあんたの人生か? やろうと思えば、今からでも方向転換はできる。少しでも改める勇気を持てば、世間は拍手喝采であんたを称えるだろう」

「君の理屈で企業が回るなら、みなビジネススクールではなく、教会に行くだろうな」

「だが、現実的な話、あんたの会社は技術でも信用でも、完全にMIGに負けてるじゃないか」

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『曙光』下巻 ~”深海調査のオファー”


 著者  石田朋子
 定価  --
 ページ数  1244ページ
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