創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を解き放ってくれる

創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を解き放ってくれる

自分を恥じない

多くの人は、「今の自分が好きになれない」と悩んでいるものです。好きになれない原因は、「理想通りにならない」「欲しいものが手に入らない」「周りと比べて劣っている」といった不満や不安が根底にあります。それが、つのりつのって、怒りに移り変わると、やがて激しいルサンチマン(怨念)となり、自分も周りも苦しめるようになります。

こうした怨念を克服し、創造的に生きることを説いたのがニーチェです。

「創造的に生きる」とは、絵を描いたり、音楽を作ったりすることではありません。

より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを創造的な生き方と言います。

それは一足飛びに人生を変えることはありませんが、怨念を洗い流し、精神をはるか高みへと連れていきます。

本作では、故郷を洪水で押し流され、堤防管理の土木技師だった父親まで失ったヴァルターが、いつまでもそのことを恨みに思い、自分も苦しみ、母も苦しめる過程を描いています。

だけども、18歳になり、ようやく故郷の惨状と向かい合う余裕をもった時、同郷の教授から「創造的に生きる」「もはや自分を恥じない」という言葉を教えられます。

長い間、水の底で藻掻いていた彼の心に希望の光を灯したのは、故郷で復興ボランティアに取り組む幼馴染みの姿でした。

本作でモチーフにしている『自分を恥じない』の出典は、ニーチェの『ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)』です(記事後方を参照)。

体得された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと。

このパートは海洋小説『曙光』の抜粋です。
詳しくは作品概要と記事一覧をご参照下さい。
冒頭部の無料サンプルはGoogle Drive からDLできます。

【あらすじ】 進まぬ復興と創造的な生き方

命豊かな深海の世界に魅せられ、有人潜水艇のパイロットを目指すヴァルターは、海洋学を修得する為、マルセイユの大学に進学する。工学部のキャンパスで、故郷ネーデルラントの治水をテーマにした講義が開かれることを知り、洪水の悲劇と向かい合うことを決意するが、彼の胸を打ったのは、一向に復興が進まぬ故郷の惨状と、「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる」という教授の言葉だった。

【抜粋】 最高の美徳とは何か:もはや自分を恥じないこと

海洋学部に進んで半年が経った頃、彼はたまたま通りかかった工学部のキャンパスで一枚のポスターに目を留めた。

《God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland(世界は神が創ったが、ネーデルラントはネーデルラント人が作った)》

何かと思って目を凝らせば、ネーデルラントの治水に関する講演会の案内だ。招かれたのはアムステルダム工科大学の有名な教授で、ネーデルラントの治水機関にも幾多の助言を与えている。

彼も十九歳になり、今では父の死や生き様と正面から向き合う余裕もある。

プロテウスのパイロットになるという目標に燃えているせいか、悪夢にうなされる回数もめっきり減った。

そんな彼が生涯かけて理解したいのは、あの晩、堤防を守りに戻った父の気持ちだ。

十三歳のあの日からずっと、彼の胸には複雑な思いが渦巻いている。どれほど自分に言い聞かせても、自分と母を置いて堤防を守りに戻った父への慨嘆を払拭することができない。「父さえ生きていれば、こんなことにならなかった」という恨み節が頭をもたげる度、俺はなんと恩知らずで薄情な子供なのかと自分を責めずにいなかった。

だが、いつの日か、堤防を守りに戻った父の気持ちを理解し、自分の精神の一部にできれば、本当の意味で父の死から立ち直れるかもしれない。

彼はきっかけを求めて講演会に赴いた。

学生ホールの教壇に、毛虫のような口髭を生やした小柄な教授が現れると、学生たちは「ぷっ」と笑いをもらしたが、彼は最前列で食い入るように耳を傾ける。

話はネーデルラントの諺と治水の歴史から始まり、Anno(アンノ) Domini(ドミニ)の時代、幾度となく沿岸を襲った大洪水、それに続く国家的治水事業『第一次デルタ計画』と大堤防建設、近代技術の粋を集めたハイテク堤防、UST歴になってからの水監視システムや堤防補強事業に関する資料などが次々にプロジェクタに映し出される。

「しかしながら、一八四年二月二十二日、再び悲劇がゼーラント州の沿岸地帯を襲いました。数千年に一度と言われる大型低気圧の接近により、異常な高潮と河川の増水が発生し、堤防や水管理施設の補強対策が遅れた一部地域で、冠水や堤防決壊など深刻な被害をもたらしたのです」

大型プロジェクタに、完全に水没したフェールダムの沿岸部、濁流に呑まれる車や家屋、土砂に埋まった運河と排水施設、陥没した河川敷や道路などが次々に映し出され、最後に決壊したフェールダムの締切堤防が大写しになると、彼は目を背け、心臓を射貫かれるようなショックを受けた。だが、大きく息を吐き、気持ちを整えると、しっかり瞼を開いて、父が最後まで護ろうとした堤防を見届けた。

救援ヘリが上空から撮影した写真では、堅固なコンクリート堤防の真ん中辺りで幅二〇メートルにわたって崩れ落ち、茶色い濁流がジェット噴射のように河口から海へと流れ出している。

だが、教授は力を込めて言う。

「現在、ネーデルラントでは、老朽化した堤防や排水施設を中心に『第二次デルタ計画』が進行し、未来に向けた新しい国づくりが始まっています。いつの日か、この堤防も再建され、美しい干拓地が蘇るでしょう。ゼーラント州の記章に刻まれたLuctor et Emergoのモットーのように。『水を治め、大地を現す』ということは、自らの手でLa vie(life)を勝ち取ることなのです

講演が終わると、彼は廊下で教授を捉まえ、オランダ語で「非常に感銘を受けた」と伝えた。

教授は彼が同郷であるのに気づくと、どうしてマルセイユで勉強しているのかと尋ねた。

自分も被災者の一人であり、土木技師の父親を亡くした体験を語ると、教授はうんうんと頷き、あの晩、各地で多くの作業員が命を落とし、今はその遺族や元住民が中心となって復興ボランティアに取り組んでいることを教えてくれた。

「人間とは乗り越えられるものだよ」と髭の教授は言った。「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる。傷つき、苦しむ自分を恥じなくなった時、本当の意味で君は悲劇から自由になれる」

【リファレンス】 ニーチェと『悦ばしき知識』

「人間とは乗り越えられるものだよ」「創造的であることが、あらゆる苦悩から我々を救ってくれる」というのはニーチェの言葉のアレンジです。ここでいう『創造』とは絵を描いたり、作曲したり……という創作ではなく、「ゼロから価値あるものを打ち立てる」という意味です。

ニーチェの名言もいろいろありますが、特に好きなのが『悦ばしき知識』に収録されたこの一文。

体得された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと。

第三章の275節に収録されています。

一部を抜粋。

二六八

英雄的にさせるのは何か? ――自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって同時に突き進んでゆくことがそれだ。

二七〇

お前の良心は何を告げるか? ――「おまえは、おまえの在るところのものと成れ」

二七三

お前は誰をば悪と呼ぶか? ――いつもひとを辱めようとする者を。

二七四

お前にとって最も人間的なことは何か。――誰をも恥ずかしい思いにさせないこと。

二七五

体現された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと

ニーチェについては、上記の関連リンクにもたくさん記載しています。ぜひご参照下さい。

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上巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。
閲覧は無料です。モバイルでも表示可能。
『曙光』上巻 ~”海底鉱物資源を採掘せよ”から”屁理屈だけは超一流”まで


 著者  石田朋子
 定価  --
 ページ数  1509ページ
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