ベルサイユのばら ヴァレンヌ逃亡事件

国境まで50キロ 国王一家の命運を分けたヴァレンヌ逃亡の無念

※ 『ベルサイユのばら 第9巻』 ルイ16世とマリー・アントワネットのヴァレンヌ逃亡事件にまつわるコラムです。

私がポーランドに来てから一番エキサイティングだった出来事は、車でスロヴァキアの国境を越えた事でした。
高速道路の料金所みたいな国境管理局でパスポートにスタンプを捺してもらい、ゲートをくぐれば、もうそこはスロヴァキア。標識も看板も言葉も通貨も法律も、まったく異なる世界が開けているのです。
目に映る風景はほとんど変わらないのに、ちょっと国境を越えただけで「外国」になってしまうのは、島国育ちの私には新鮮な体験でした。

わけても印象的だったのが、スロヴァキアとの国境沿いを流れるDunajec川(ドゥナイェツ)のリバークルーズです。ポーランドの湖から流れ出るこの川は、約18キロメートルに渡ってスロヴァキアと国境を接した後、大きく蛇行して再びポーランド領に戻ります。

ゆえに川沿いの遊歩道も両国にまたがっており、国境部には両国の国旗が掲げられた丸太小屋のような出入国審査所があって、EU加盟前はたとえ散歩といえどもパスポートの提示が義務づけられていたのです。

また幅10メートルほどの川を挟んで、こっちがポーランド領、あっちがスロヴァキア領になっている場所も多く、深夜、川の浅瀬を渡って、ポーランドからスロヴァキアの居酒屋にこっそりビールを飲みに行く人もあるのだとか。スロヴァキア通貨の方が若干弱いので、ポーランド人にはお得なんですね。船頭さんの話では、どこからか監視しているそうですが、いまだかつてこれで逮捕された人はいないそうです。(エピソードはEU加盟以前の話。現在は交通自由です)

こんなエピソードも、見方をかえれば、地続きヨーロッパではいかに隣国の脅威にさらされてきたかという証でもあります。

たとえば、ある日突然、川向こうから何万という軍隊が攻め込んで来たら、無防備な国境沿いの町はひとたまりもないでしょう。

池田理代子先生の「天の涯まで ~ポーランド秘史~」では、18世紀末、国土分割をめぐってロシアと対立してきたポーランドが、首都ワルシャワを流れるWisła河(ヴィスワ)の対岸から2万ものロシア軍に侵攻され、市民の大量虐殺の後、国王スタニスワフ・アウグストは退位、ロシア、オーストリア、プロイセンによって国土は完全に分割され、ポーランド王国そのものが消滅してしまう過程が詳細に描かれています。歴代のヨーロッパ諸国の王が、政略結婚をはじめ、あの手この手で政治的駆け引きを繰り広げてきたのも、油断すれば簡単に国境を突破されるからでしょう。

「ベルばら」では、革命によって身の危険を感じた国王一家が、フェルゼンの手引きによってマリーの故郷であるオーストリアに逃亡を試みます。
にせの旅券と馬車の用意をして、国王一家をパリからおつれいたします。シャロンにつけばそこから国境まではブイエ将軍の管轄ですから、将軍がご一家をお守りするでしょう
フェルゼンの不眠不休の働きにより、逃亡計画は着々と進められ、1791年6月20日、国王一家はテュイルリー宮からの脱出に成功します。
ところが、「手綱をとったフェルゼンが馴れないパリの町に2時間以上も迷ったこと」「村人の不審をかった軍隊が勝手に引き揚げてしまったこと」などから、国王一家は孤立無援となり、国境付近のヴァレンヌという小さな町で捕らえられてしまいます。

ヴァレンヌからオーストリア国境までわずか50キロメートル。
車で飛ばせば1時間もかかりませんし、大型馬車でも3~4時間ほどで辿り着ける距離です。
なのに、あと一歩のところで村人に見破られ、逃亡を断念せざるを得なかった国王一家の無念――とりわけフェルゼンの嘆きは計り知れないものだったでしょう。
その19年後、「フェルゼンが自分の罪の日としてあんなにも呪い続けた」ヴァレンヌ逃亡と同じ日に、彼を憎む民衆の手によって虐殺されたことは、単なる偶然とは思えない運命的な深さを感じます。

この事件をきっかけに、それまで国王擁護の立場をとっていた多くの国民も国王不要論を支持するようになり、王と王妃の死刑を決定づける要因となりました。もし彼らが逃亡に成功していたら、フランス革命の有り様も随分違っていたでしょうし、最初から逃亡など企てず国民に歩み寄っていれば、生き延びる道もあったかもしれません。あと50キロメートルの道程を、なぜ歴史は彼らに国境を突破させなかったのか。それを思うと、やはり彼らは死をもって国家の礎となることを運命づけられた人々だったのかと、悲しく感じずにいません。

国境」。それは古来より幾多の災いの源である一方、希望と幸運の扉でもありました。
人類初の宇宙飛行を成し遂げた旧ソ連のガガーリン少佐は、「地球は青かった」という名言と共に、「そこに国境は見えなかった」という言葉を残しています。実際、大地に引かれたわけではない国と国の境をめぐって、血を流し、希望を抱き、無念をかみしめてきた人々のことを思うと、ガガーリンでなくても、歴史の悲哀を感じずにいられないのです。

ベルサイユのばら 第9巻より

革命も王室には好意的でしたが、ヴァレンヌ逃亡事件により、一気に王政廃止に傾きます。
詳しくは、マリー・アントワネット〈下〉 (岩波文庫)を読んでみて下さい。計画の立案から国王一家逮捕まで、詳細に綴られています。

ベルサイユのばら ヴァレンヌ逃亡事件

ベルサイユのばら ヴァレンヌ逃亡事件

ベルサイユのばら (9) (マーガレットコミックス (148))

ポーランドとスロヴァキアの国境:フォトギャラリー

こちらはポーランドとスロヴァキアにまたぐ Dunajec川(ドゥナイェツ)の国立公園の模様です。

ポーランドもEU加盟前(シェンゲン協定に加入する以前)は、国立公園の遊歩道でも出入国管理が行われ、観光客も地元民もパスポートの提示が義務づけられていました。たとえ散歩でも、パスポート無しで通過できなかったのです。

ポーランド スロヴァキア 国境

ポーランド スロヴァキア 国境

こちらは観光の目玉、リバークルーズです。 Dunajec川(ドゥナイェツ)は国境をまたいで蛇行する為、ポーランド・スロヴァキア間を何度も行ったり来たりします。

Dunajec川(ドゥナイェツ)リバークルーズ

川向こうはスロヴァキア。昔は、監視の目をくぐりぬけ、浅瀬をわたって、川向こうの居酒屋にビールを飲みに出掛けていたそうです。

Dunajec川(ドゥナイェツ)リバークルーズ

国境間を結ぶブリッジ。現在では、自由に行き来することができます。

ポーランド スロヴァキア 国境

橋を渡れば、そこはスロヴァキア。店員が話す言葉も、法律も、通貨も、すべて異なります。
ほんの数十メートルを歩いただけで外国なんですね。

ポーランド スロヴァキア 国境

現地には『外国』とか『国際』という意識も皆無です。言葉や法律の異なる村に遊びに行く感じ。

ポーランド スロヴァキア 国境

Google Mapでみる、ポーランド=スロヴァキア間の主要な国境。
EU加盟以前は、ここに検問待ちの長蛇の列が出来ていました。

ポーランド スロヴァキア 国境

今は徒歩でも車でもするりと通り抜けることができます。= EU各国がテロリストの侵入を恐れる所以です。
シェンゲン協定は観光客やビジネスマンには有り難いけど、国防においては非常なリスクとなっています。

ポーランド スロヴァキア 国境

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