人は労働を通して社会的存在になる カール・マルクスの哲学

人は労働を通して社会的存在になる  カール・マルクスの哲学
人間は労働を通して社会的存在になる。社会的存在とは、自分一人の世界の中ではなく、人々との交流の中に生きているということである。労働者革命の一大潮流を生み出したカール・マルクスの名言を紹介。今マルクスを読むべき理由や思想についてのコラムです。
パパの好きなモットーは?  

――すべてを疑え!

「疑え」というと過激に聞こえるが、「検証せよ」と言い換えれば、分かりやすい。
思えば、ネットにも、新聞にも、書籍にも、様々な論調が溢れかえり、どれもが尤もらしく、どれもが嘘っぽく感じる。
「1万回リツイートされた」「10万部が売れた」と聞けば、大勢が支持する正義と思い込むし、「有名な誰それが推薦」「○○を受賞」と聞けば、お墨付きの確かな情報と思い込む。

だが、本当にそうだろうか。

物事が一方的に語られていないか。
メーカーや広告会社が仕掛けたブームではないか。
身内だけが盛り上がって、否定的な人も裏に大勢いるのではないか。

何事も様々な角度から検証し、自分なりに正しい答を導き出すことが重要である。

『すべてを疑え』というのは、人間の理性に呼びかける言葉だ。

何かを見聞きすると、私たちは一番に感情を覚えるが(許せない、もっともだ、等々)、科学的に分析し、体系的に理解することが、唯一、問題改善への道筋を開くからである。

※ Googleドキュメントでも下書きを公開しています。こちらの方が見やすいかも。 
『人と思想 マルクス』 人は労働を通して社会的存在になる

インデックス
  はじめに
人と思想『マルクス』が書かれた経緯
人と思想『マルクス』 小牧治
思想の背景
理論形成に向けて:人間の権利のために
一つの社会的事件:人間が大事なのか、商品が大事なのか
人間の解放:真の自由と平等とは何か
疎外された労働:『経済学・哲学手稿』の誕生
唯物史観:気持ちを変えるか、システムを変えるか
『賃労働と資本』 自身の立場と権利を理解する
『共産党宣言』:自らに宣言する。そして、世界に。
まとめ:現代の労働者には学ぶ機会と選択の幅がある
マルクス 名言集

はじめに:変革は現実を知ることから始まる

付記:2018/06/11

私が改めてマルクスを読んで欲しいと思うのは、こと労働に関しては、精神論ではどうにもならない事の方が多いからです。

法定基準が守られる中で、「仕事がつまらない」「正当に評価されない」みたいに不満に感じるのは、「もっと工夫すれば」とか言えるけども、一日十時間以上拘束されて、サービス残業、休日返上は当たり前、「お前なんか、居ても居なくても一緒」などと自尊心を踏みにじるような言葉を平気で口にするような環境で、「気の持ちよう」「努力が足りない」とか言われたら、どこにも逃げ場がないでしょう。

人間が心で変えられる事にも限界があって、極端な例になるけども、爆撃機が飛び交うような中東の町で、裸足で逃げ回る子供たちに、「努力が肝心」「痛い、辛いは気の持ちよう」などと言えるわけがないでしょう。まずは紛争を止めないと。

労働問題もそれと同じで、まずは法的な権利が守られていること、人間として尊重されることが大前提で、努力も創意工夫もその上に成り立つものだと思っています。

しかし、社会の基本を知らずに、「苦しく感じるのは、自分の努力不足」とか「残業になるのは自分の創意工夫が足りないから」みたいに、100パーセント、自身に負うような考え方をしていては、どんな強い人もパンクしてしまいます。

どう考えても職場を管理する方が悪いのに、従業員の能力や資質の問題にすり替えられたら、従業員はまともな判断力も無くして、自分を責める方向にしか走らないと思うんですね。

そうなる原因の一つには、本人自身が社会の仕組みを知らない、という点が挙げられます。

グサっとくるかもしれませんが、無知ゆえにこき使われ、全部オマエのせい、にされるわけですね。

喩えれば、小学生に一日中、ゴミ拾いさせるようなものです。ろくに世間も知らない子供なら、「真面目にゴミを拾う子は良い子だ」「社会の為だ、がんばれ、がんばれ」と褒められるだけで、一生懸命にやってしまうでしょう。無知な社会人もそれと同じ。ちょっと考えれば、指示する方がおかしいと気付くのに、無知ゆえに、おだてられる子供みたいに必死に頑張って、炎天下で倒れてしまうのです。

かといって、条文など丸覚えしても身には付かないし、全体を俯瞰する力がなければ、一生、騙されっぱなし、メディアなどでみかけるポジショントークに振り回されて、はたと気付けば、なんとかセミナーに何十万と使い込んでたりします。

そうならない為にも、この社会における自分の立ち位置、力関係、物やお金が流れる仕組み、等々、知っておきましょう。専門家のレベルまで高める必要はありません。ただ、基本を知っておけばいいのです。この社会をディズニーワールドに喩えれば、誰がオーナーで、誰が管理者なのか、お客さんが支払った入場料や飲食代は誰が手にして、どのように分配されるのか、そして、自分は財務を担当する人なのか、業者に派遣されてマシンを整備する人なのか、病気になったら収入はどうなるのか、次の仕事の当てはあるのか……、その中で、気合いで克服できる問題って、どれほどあると思います? 無理な作業を命じられて、手首を骨折したのに、見舞金も出ない、それって、本人の創意工夫の問題でしょうか。そんなわけないですよね。

マルクスの思想は、産業革命が進む19世紀、労働者の権利も、現在のような福祉制度も、何もない時代に生まれました。

続きにも書いてますが、子供が工場で働かされたり、町に失業者があふれたり、今よりさらに深刻な社会問題を目の当たりにして、「どうにかして、この不幸を救えないものか」と考え出したのが、私有財産の廃止などを主とする共産主義的な方策です。

その方策については、現代の事情とは全く噛み合わないところもあり、さすがに21世紀のグローバル化やIT社会まではカヴァーしきれませんが、一点、抜きん出たところは、労働者階級の不平や不満を感情論ではなく科学的に解決しようとしたことです。

例えば、家の柱が傾いてきた時、「こんな感じでいいんじゃない」と適当に直す人はありませんね。建築士に依頼して、どの方向に、何センチ動かせばいいか、構造計算した上で、物理的に修復するはずです。

マルクスもそれと同じで、「労働者に権利を!」とわーわー叫ぶのではなく、なぜ、働いても働いても、さっぱり給料が上がらないのか、一握りの資本家だけが儲かって、庶民の暮らしは地に沈んでいくのか……ということを、科学的(経済学的)に分析し、論理的に解決しようとしました。いわば傾いた社会の柱を、どの方向に、何センチ動かせばいいのか、そのロジックを明らかにして、具体的に直そうとしたわけです。今風に言えば、「年金支給開始を三年遅らせる代わりに、定年退職を三年引き延ばせばどうか。その方が、労働者にも、国にも最も負担が少ない」という具体策であり、計算です。「みんな老後が心配だから」「じゃ、年金の支給開始は、70歳ぐらいでいいんじゃないですかぁ」みたいな施策はしませんよね。高齢者所帯の平均的な生活費や諸々の経費、国の税収や年度予算や、あれこれ計算した上で、年数や支給額を割り出すはずです。つまり、庶民の生活を保障するなら、「○○でいいんじゃないですかぁ」では解決にならない、何が原因で、何が必要か、ロジックに基づいた方策を提示しなければ、掛け声だけで終わってしまいます。あるいは、まったく機能しないか。

マルクスは、一つの回答を示した一人です。

なぜ、それが画期的かといえば、当時はそこまで考える人は希有だったからです。多分、似たような意見は方々にあったと思いますが、最初に書物に編纂して、どどーんと世間に突きつけたのは、彼が最初だったと。

1970年代における、ミレニアム・ファルコン号みたいなものですね。SFの特撮は数あったけども、あそこまでエキサイティングな物語に仕上げたのはジョージ・ルーカスが最初、みたいな。

そして、彼の労働や資本社会に対する分析は現代にも通じるし、もしかしたら、労働者の立場は、19世紀からちっとも変わってないのかもしれません。

彼が示した方策はともかく、「なんとか庶民の苦しみを救えぬものか」という気持ちは今もびんびんに伝わってきますし、『万国の労働者よ、団結せよ』の掛け声も、「労働者の皆さん、正しい知識をもって、悪い経営者に騙されないようにしましょう」と置き換えると分かりやすいと思います。

何より、人間にとって労働とは何か、私たちは何の為に働き、どんな時に幸福を実感するのか――という労働の本質、あるいは社会人としての心構えを理解することが、自身も周りも幸福にする重要事項ではないでしょうか。

これは安っぽい自己啓発でもなければ、PVを意識したポジショントークでもありません。

一人の人間の、真摯な願いが詰まった、哲学書です。

そのように読めば、あなたも尊い社会の一員であることが実感できるはずです。

マルクス

当サイトの記事はくそ長いと評判なので、とりあえずダイジェストで核のメッセージだけ書きました。

人と思想『マルクス』が書かれた経緯

マルクスというと、しばし「サヨク」「日本共産党」「ソビエト社会主義」「レーニン」「マルクス主義者」「学生運動(日米安保)」等々、一緒くたに語られるが、それぞれに全く異なるものであり、世間の評判や言葉のイメージだけで拒絶するなら、それは無知というものだ。一度でも著書を読めば分かるが、ソビエト連邦という政権を作ったのも、日本共産党を立ち上げたのも、学生運動を指揮したのも、サヨクと呼ばれる人々も、そこから派生したものであって、マルクス自身ではない。彼らはいずれも”影響された”というだけで、真にその思想を実践しているわけではないからだ。

たとえば、ジョン・レノンがLOVE&PEACEと歌えば、大勢が影響され、我も我もとLOVE&PEACEを叫び出す。反戦運動に参加することがLOVE&PEACEと解釈する者もあれば、サイケデリックな格好をして、社会の規範に逆らうことがそうだと思い込む者もある。中には過激な行動に走る者もあるかだろう。
だからといって、ジョン・レノンのLOVE&PEACEが間違いなのではなく、個々の受け取り方にこそ問題がある。
何故なら、ジョン・レノンは、火炎瓶を投げろとも、大使館に押し入れとも言ってないからだ。

マルクスに対する先入観もそれによく似ている。

後に続く、レーニン主義やソビエト社会主義、過激派の粛正や武力によるクーデター、政策の失敗などによって、マルクスが諸悪の根源のような言われ方をするが、果たして、全ては彼がけしかけた事なのだろうか?

マルクスはただ新たな思想として共産主義を唱えただけであって、組閣や政治運動の在り方まで細かく指示したわけではない。まして20世紀、21世紀の世の中まで視野に入れて、共産主義を唱えたわけではない。

マルクスが生まれたのは、フランス革命の30年後、共産党宣言が世に出たのは、今から170年前(1848年)。イギリスの産業革命でようやく工場制機械工業が可能になったものの、労働者を守る法律もなく、子供も労働に駆り出されていた時代の話である。それについて人と社会はどうすべきかを唱えたのがマルクスの思想の本質であって、サヨクや、ソビエト社会主義や、日本共産党や、学生運動が、マルクスに直接教えを請うたわけではない。言うなれば、それぞれが勝手に経典を解釈した結果であって、マルクスの思想に忠実に実践しているわけではないのだ。喩えるなら、イエス・キリストの教え(聖書)を基点に、カトリック派、プロテスタント派、バプテスト派、ロシア正教、モルモン教、エホバの証人、その他もろもろ、数え切れないほどの宗派や新宗教が生まれたようなものだ。その中にインチキみたいな教会が現れたからといって、イエス・キリストの教え(聖書)の全てが間違い、という訳ではないだろう。キリスト教を批判した哲学者でさえ、教会もしくは教徒の考え方と、イエス・キリスト(聖書)そのものは切り分けて論じている。ニーチェにしても、その他の論者にしても、現行の教会制度や信徒の考え方はどうよ?というクエスチョンを投げかけているのであって、イエスの教えを間違いとは書いてない。間違いがあるとすれば、その後、布教に携わったものの方策であり、思想と方策――とりわけ時代を隔てた方策とは、似て非なるものなのだ。

にもかかわらず、ことマルクスにおいては、鬼の首でも取ったように批判する人が多いのはどういうことだろう。ひどいのになると、マルクス=○○党(○○国)=○○運動を同一視し、並列で語る者もある。該当の党首や運動員がマルクスの傀儡でもあるまいし、現在行われている施策や社会運動と思想の価値をなぜ一緒くたにしてしまえるのか、理解に苦しむ。

それは私が熱心なマルクス信者だからではなく、物事というのは切り分けて考えないと、大衆扇動や集団ヒステリーに陥りやすいからだ。

マルクスはマルクス、日本共産党は日本共産党、ソビエト社会主義はソビエト社会主義、それら一つ一つを検証する中で、相互に影響し合う一本の糸が見えてくる。それは時代の潮流であったり、技術革命であったり、いろいろだ。私たちが本当に注意すべきは、その他大勢を巻き込んでいく、その時その時の流れの向かう先であって、源流そのものではない。なぜなら、何十年、何百年も昔に書かれたものが、現在も同じように機能し、未来にもそっくり通じるはずがないからだ。それよりも、途中で曲がりくねりした経緯の方が、現代の私たちにははるかに重大なのである。

その上で、改めて読んでみて欲しい。
何がそうまで当時に響いたのか、そして今なお語り継がれるのか。
マルクス主義や○○党は廃れても、マルクスの著書が人の世から消えることはない。
思想とは、そういうものである。

若い人がマルクスを読むべき理由

若い人がマルクスを読むべき理由は三つある。

一つ目は、人と社会の関わりを理解する。

二つ目は、人間にとって労働(仕事)とは何かを理解する。

三つ目は、資本主義社会における労働とは何かを理解する。

もちろん、マルクスが唱えた「私有化の廃止」「平等な配分」等は現代においては相当に無理がある。

しかし、先にも述べたように、マルクスが生まれたのはフランス革命の三十年後(現代に喩えれば、バブル世代とゆとり世代)、共産党宣言が著されたのは1848年、ようやく社会の近代化が進み、産業革命によって工場労働が主流となり、労働者を守る法律も福利厚生も何も無かった時代の話である。どこの世界に、100年後、200年後もフィットする方策を打ち出せる哲人がいるだろう。皆がIT時代の神祖と仰ぐスティーブ・ジョブズでさえ、100年後、200年後には、時代遅れに感じるものだ(stay hungry, stay foolish の精神は未来に通用しても)。
今、マルクスを読み返す価値があるとするなら、「私有化の廃止」といった方策ではなく、社会的存在としての人間、あるいは、資本主義社会における労働の分析だと私は思う。後者に関しては、今後ますます形態も価値観も変わっていくだろうが、本質的な部分は今も十分に通用する。そして、自分の社会的な立ち位置や労働の意味と目的を理解し、「よりよく生きていくにはどうすればいいか」「今後社会はどうあるべきか」を考察するのが、現代の若者にとってのマルクスの意義ではないだろうか。

今も、これからも、就労にまつわる苦しみは払拭されることはないだろうし、不当に感じることも多々あるだろう。その時、仕事を辞めるにしても、改善を申し入れるにしても、判断の材料となるのは、自身の見識であり、方向性である。「誰かに言われたから」「皆そうしているから」で辞めたり訴えたりしても、結局、自分の納得がいかず、かえって焦りや虚無感ばかりがつのるような気がする。
マルクス――というより、「人間にとっての労働」「社会的存在としての人間」を理解し、自分なりの見識を持つことは、この社会で生きていく上で非常に重要なことだ。それは、自身のアイデンティティに関わることでもあるし、他者の尊重や状況の改善に繋がる足がかりとなるからである。

その点、マルクスは的確に分析しており、現代の私たちが読み返しても説得力がある。何より「どうしたら世界中の労働者を救えるか」を一心に考え抜いた末の結論であり、こう言えばもっと売れるだろう、などという、みみっちい動機で書かれたものではないということだ。

方策としては現代の事情にそぐわない点もたくさんあると思うが、あの時代、こうした思想を打ち立てたことで、現在、私たちが当たり前のように享受している労働法や福利厚生へと繋がった。近代化の進む大都市で、マルクスが幼い労働者や庶民の貧困に何の関心ももたなかったら――人生を懸けて理論の確立に取り組まなかったら――あらゆる問題が宗教的救済やガンバリズムの中でなおざりにされたかもしれない。

ちなみに、壮大な社会実験と言われたロシア革命とその後に続くソビエト政府の樹立(1917年)だが、『ロシア革命 (「知の再発見」双書)』こんな記述がある。

1917年の3月から7月にかけて、さまざまな分野の100万人以上の労働者がストライキに参加し、自分たちの権利を声高に首長した。職人、洗濯屋、理髪師、カフェのウェイター、使用人、運転手など、それまではみずからの要求を訴えることなど考えもしなかった人々が、まるでストライキ経験の豊富な工場労働者のように、旗をかかげてデモをしはじめたのである。
労働者たちは8時間労働の制定を求め、すぐにその実現を勝ち取った。そのほかの要求には、社会保険制度の実施や、経営者による一方的な採用と解雇の監視、罰金と虐待的な措置の廃止、「一日あたり1.5キログラムのパンを買うことができるようになるため」のささやかな賃上げなどがあった。ロシア西部のトヴェーリ繊維工場の労働者たちは、工場の入る際の身体検査の廃止を、コストロマの繊維工場の労働者たちは、経営者に雇われたスパイと民兵の解雇を求めた。
モスクワでは使用人たちがデモ行進を行い、雇い主が自分たちのことを「農奴のように『お前』と呼ぶこと」をやめるよう要求した。ペトログラードではカフェのウェイターが「カフェのウェイターに敬意を示すことを要求する。チップを廃止しろ、給仕も市民だ!」と書かれた旗を持って行進した。
こうしたさまざまな要求は、新体制になってからわずか数週間のうちに、事態の推移に圧倒された経営者たちによって、ほぼ実現されることになった。

こうした大行動のモチベーションとなったのが、一人一人の権利の自覚であり、その手引きを書いたのが、マルクスであり、当時の共産主義者であり、これらに影響を受けた文化人らである。もちろん、皆が揃って一つの方向を目指したわけではなく、最後には権力闘争となり、権力者による独占や弾圧へと繋がっていくのだが、それらを割り引いても、思想(書物)が無知な人々の目を開かせる原動力であることに変わりない。喩えるなら、長時間労働に苦しむ人が、周りに「それって、労働法違反でしょ」と言われて初めて、この苦しみが自分の落ち度でないことに気付き、自己の尊厳や希望を取り戻すの同じだ。どこかに体系化された手引きがなければ、人は永遠に自分自身のことも、苦悩の根源も、理解することはできないのである。

これで興味が湧いたら、まずは伝記やわかりやすい解説書から入ってみることをおすすめする。

ちなみに、マルクスは、元々、詩やエッセーを書くのが大好きな文人体質である。しかし、並み居る論客と戦うには経済学の知識が不可欠と痛感し、大学卒業後に猛勉強を開始した。そう考えれば、彼が人類(労働者階級)の英雄たらんとするロマンチックな動機から奮闘した社会派作家の側面も見えてくるのではないだろうか。<共産主義者というレッテルに対して>

シリーズ記事

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※ 以下、1998年に書いたものです。

マルクス 名言集

「人はパンのみに生きるにあらず」――というなら、「人は賃金のみに働くにあらず」というのが私の仕事哲学だ。
ソビエト連邦が崩壊し、ベルリンの壁も取っ払われた今、何故マルクスなのか、と思う人もいるかもしれないが、今だからこそ“マルクス”を冷静に見直せるのではないだろうか。
私は安保に揺れたあの時期を知らないし、マルクスや共産主義について本格的に勉強したわけでもないので、偉そうなことは言えないが、彼の、こと労働に関する分析と思想は、未だ新しく、現代に、そして未来に通じるものがあると私は確信している。

プロレタリアートとは、自分の生活の維持する費用を、ただ自分の労働力を得ることによってのみ得ていて、あらゆる種類の資本の利潤からは得ていない社会階級である。
その幸福と不幸、生と死、その存在全体は、労働の需要、景気の変動、どう決まるかわからない競争の結果などにかかっている。

「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」――
かの有名な『共産党宣言』は、この一節から始まっています。
それはまた、この社会が「支配する者と支配される者」「もつ者ともたざる者」といった二極の層から成ることを示唆したものともいえるでしょう。

マルクスは、資本主義社会を構成する二極の層を「ブルジョアジー」「プロレタリアート」という名称で表しました。
そして彼の眼は絶えず「ブルジョアジー」の下にある「プロレタリアート」に向けられ、どうすればこれらの人々が真に豊かに暮らせるか――
生活の不安に脅かされることなく、この社会で生存してゆけるか――という想いから彼の思想の旅が始まったのです。

プロレタリアにおける最大の不幸は何か?
それは生存は保証されず、生産手段をもたない裸の存在であり、その代わり売るものは唯一つ、“労働力”であり、生きるも死ぬも、これにすべてがかかっている――

というのが彼の分析です。
自分がどっちの層に属するか分からなければ、まず自分に「生産手段」があるかどうか考えてみましょう。
もしリストラで会社をクビになった時、あなたは明日から食べていくことができますか?
電気代やガス代はどうなりますか?
家のローンが払えなくなっても、住み続けることができますか?
何らかの原因でサラリーが打ち切られた時、もう路頭に迷うしかないとなれば、あなたは立派な「プロレタリア」です。
人や会社に雇われる以外、食ってゆく道が無いならば、あなたはこの社会に何の「生産手段」ももたない、ただ労働力を売ることによってのみ生存可能な「プロレタリア」なんです。
今は「中流」という言葉にごまかされ、適度な豊かさに身を置いているから分からないけど、もし、いつかあなたが会社をクビになり、もうどこからも生活費を得ることができなくなったとしたら――
そしてこの社会に生存し続けることさえ、誰にも保証してもらえなくなったとしたら――
マルクスの言葉をきっと実感することでしょう。

人間は労働を通して社会的存在になる。
社会的存在とは、自分一人の世界の中ではなく、人々との交流の中に生きているということである。

この一節に、マルクスの労働に対する思想が集約されていると思います。
【人は賃金のみに働くにあらず】 ――どんな人でも、自分の仕事には賃金以上の“何か”を求めているのではないでしょうか。
たとえば『やり甲斐』。自分がこの仕事を通して人や社会に役立っているという喜びや自負。その仕事によって人から認められる誇らしさ。
組織の中で自分ならではのポジションを確立しているという自信。
それは決してお金で得られるものではありません。
たとえそこそこに収入があったとしても、自分の仕事に何の意味もやり甲斐も持てないなら、それはいたずらに心身を消耗する“苦役”でしかなく、その人に何をも与えはしないと思います。

労働の生み出したもの――つまり生産物が労働者にとって疎遠なものになるのは、労働という行為そのものが労働者にとって疎遠になっているからである。
苦役にしか感じられないような労働は、まさしく【疎外された労働】であって、苦役の労働者は働くことにも、また働いた成果にも何の興味を抱こうともしないだろう。
そういう不遇な労働者はすべてを金のためと割り切って、自分を慰め、自分の行為を正当化するしかない。

マルクスは、「人間は働けば働くほど、その生産したもの中に生命を奪われていく」状態を、【疎外】という言葉で表しました。
たとえば製造に携わる人がいるとします。彼は賃金を得る為、会社の為、ものを作っているけれど、彼がその行為=労働に何の意味も感じぬまま、ただひたすら機械のように物を作り続けるだけだとしたら、それは単なる苦役でしかないのでは?
そして彼の労働力――すなわち彼の肉体的精神的エネルギーは、彼が製造し続けるモノの中にどんどん吸い取られ、彼に何の見返りも与えないのです。
それでも働き続けられるものでしょうか?
人間としての充足は何処に求めればいいのでしょう?

一般に労働の目的が富の増大である限り、私はあえていうが、労働そのものは有害であり、破滅的である。

労働の疎外は、第一に、労働が労働者にとって外的であること、すなわち、労働が労働の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないで、かえって否定され、幸福と感ぜずに不幸と感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがまったく発展せず、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は荒廃するということである。
だから労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。
彼の労働は自発的なものではなく、強いられたもの、強制労働である。
したがって、労働は欲求を満足させるものではなく、労働以外のところで欲求を満足させるための手段にすぎない。

人間にとって最大の幸福は、「自分を生かせる仕事に巡り合うこと」ではないでしょうか。
人は誰しも社会で認められ、社会に役立ちたいと願っている、社会的な生き物です。社会から切り離された“自我”など有り得ないし、社会と無関係に生きることなど何人たりとも出来ない。どんな人間も、多かれ少なかれ、社会に依存しながら生きているものです。

また人間の中には、何にもまして、「自分を表現したい」という強烈な自己実現の願望が在り、全ての人がそのキッカケを求めています。
ある意味で、人の一生というのは、社会の中で自分を完成させる為の道程であるといっても過言ではありません。

そして「仕事」というものは、人を社会的存在とならしめ、自己実現のキッカケを与えてくれる最良のものなのです。
自分のもてるもの全てを注ぎ込める、あるいは一生を賭けるに値するような「仕事」に巡り会えた人は幸せです。
その人にとって、「仕事」はもはや賃金を得る為の「生業 =JOB」でもなければ、辛いだけの「苦役=LABOR」でもありません。自己実現の行為であり、人生そのものです。
たとえ作業に見合った報酬が無くても、万人に認められなくても、彼は心からの充足を感じ、たった一人でも続けていくでしょう。
それが真の意味での「仕事= WORK」なのです。

人間が集団で生きてゆくにあたってもっとも肝心なことは、
ひとりひとりの人間の柔軟な感性と個性に対応できるようなシステムが保証されていることである。
そして同時に大切なのは、社会に対してほとんど「能力」を発揮できない人にも、そういうこととはまったく無関係に、必要とするものが十分に与えられることなのである。

たとえば、
「君、明日からもう会社に来なくていいよ」と言われたら――。
故意に仕事を止められ、何もする事がないまま朝から晩までオフィスに居なければならないとしたら――。
「お前は仕事が出来ないから、もう何もしなくていい」と皆の前でなじられたとしたら――
それは仕事上の問題では済みません。
その人の全人格に関わる問題です。
なぜなら“仕事”というものは、どんな職種であれ、その人の存在価値であり、意義であり、全てだからです。
人は仕事を通じて自分を知り、自分の存在を認識し、社会に位置を築きます。仕事が無ければ、「お前は要らない」といわれたも同然なのです。
人は“仕事”を失った時――あるいは仕事で認められなかった時、自分自身を失ってしまうのです。
昨今、リストラが深刻な問題になっていますが、リストラが人に与える傷は経済に限ったことではありません。
「お前は要らない」と切り捨てられたその事実が、その人の全存在を傷つけるのです。
お金の問題なら取り返せば済みますが、人格についた傷は一生消えません。
仕事を失う(奪われる)という事は、生きる術を絶たれるのも同然なのです。

共産主義社会のより高度の段階で、すなわち個人が分業に奴隷的に従事することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立がなくなったのち――、
労働が単に生活の為の手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命の欲求となったのち――、
個人の全面的な発展にともなって、またその生産力も増大し、共同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧き出るようになったのち――
そのとき、はじめてブルジョア的権利の狭い視野を完全に踏み越える事ができ、社会はその旗にこう書く事ができる。
「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」

これも有名な一節です。
が、付け加えるなら、こうした「労働の喜び」「賃金以外の精神的充足」は、資本主義システムの中でも十分見出せるものであり、結局は「個人の意識」と「社会の認識」によるのではないでしょうか。

賃上げは、奴隷の報酬改善以外のなにものでもないだろうし、
労働者にとっても、労働にとっても、その人間的使命や品位をかちとったことにはならないだろう。

現実には様々な問題が存在します。人間が労働に賃金以外の「何か」を求める以上、賃金を上げればすべての問題が解決するわけではありません。なぜなら人間は心で働く生き物だからです。

人間の物質的生活を決めるのは社会の経済システムであり、この現実の土台の上に、法律的政治的上部構造が聳え立ち、また人々の意識もこの土台に対応する。
物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活の様々なプロセスを制約し、人間の意識が存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在がその意識を規定する。
そして、経済システムという下部構造の変化によって、巨大な上部構造はくつがえる。
つまり経済が社会と人間の全てを決める要因であって、経済のシステムが変われば、社会も人間も変わるのである。

……という思想に支えられ、あちこちで革命が起きました。(それだけが理由じゃないんでしょうけどね)
経済システムを変革し、ブルジョアジーが独占してきた生産手段を解放し、平等な社会が実現すれば、人間もまた幸福になる――と本気で考えていた人がたくさんいたわけですね。
そしてマルクスの望むように革命が起き、共産主義という新しい国家が誕生しました。でも21世紀を待たずして、その多くが崩壊しました。

なぜでしょう?

――新世紀の社会・経済学者にその回答を期待します。

世界を変えるにはどうすればいいのか。
革命の担い手であるプロレタリアに自らの使命と任務を自覚させることである。

「世界を変える」=「革命」と結び付けなくても、世界は変わる。
個人が意識を変えさえすれば。
本当に必要なのは、個々の中の「意識革命」であり、システムの変革ではないと思うのは私だけだろうか。

そして、くどいようだが、個々の「意識革命」を説いたのがニーチェであり、 彼に言わせれば、どんなシステムにおいても人間の本質は変わらないし、結局は「個」の在り方によるのである。

自分の生産物の販路にたえず拡張していく必要にうながされて、ブルジョアジーは全地球上を駆け回る。
彼らはどこにでも腰をおろし、どこにでも住み着き、どこにでも結びつきを作らなければならない。

これも非常に有名な一節です。現代にも十分通じます。
一つの理想として、「地球連邦」みたいな考えがありますが、近頃の経済情勢を見ていると、世界地図から国境を消すのは企業であり、金融であり、経済そのものでないかという気がします。
ホント、今まで予想もしなかったような、国境を超えた合併・吸収劇が次々に展開してますものね。
で、それに政治や思想がついていってないのが現状か……?
いずれ宇宙にも大々的に進出するでしょう。
それを推進するのも、結局は企業です。多分。
宇宙開発の本当の意味は、科学技術の発展や平和の為なんかではなく、新しい市場と利権の獲得ではないでしょうか。
もっとも、こうした利益追求が社会や経済を活性化し、技術を進歩させ、人々の生活を向上させてきたのは事実ですが――。
でも、その一方で取り返しのつかない問題も多数生み出してきました。
いろんな矛盾を抱えたまま、これからも企業はとどまる事を知らず、その販路を拡張してゆくのでしょうね。

*

マルクスは単なる【怨念】から社会のシステムを覆そうとしていたのでしょうか。
答えは断じて「否」。
彼は“革命そのもの”を望んだのではなく、革命を通じて、理想的な社会を実現する事を願っていたのだと思います。
革命はあくまで手段であって、目的ではありません。
その思想の根底にあるもの、そして方向性が重要なのです。
マルクスといえば、「反権力・反社会」の過激運動家みたいに思われがちですが、彼を突き動かした動機――その情熱の源は、社会や権力に対する【怨念】ではなく、(それも多少あったかもしれないが)「人々を救いたい」「社会を良くしたい」という純粋な理想だったと思います。
そうでなければ、食うにも困る極貧と病苦の中で、あれだけの書物を書き、あれだけの運動を持続させる事はできません。

が、理想実現に向けて彼が説いた“方法論(=革命)”は、結局、現実と反りが合わず、完全な理想社会の実現を見る事なく終わりました。
私は経済学も社会学もきちんと勉強した事ないので、彼の“方法論”の是非について判断を下すことはできませんが、先々、マルクス旋風(?)の吹き荒れたあの時代や、彼の思想そのものについて、冷静な分析がなされ、新しい回答が導き出されることを願っています。

木原武一氏の言葉

思想を支え、それに生気と力を与えているのは理想と願望である。

今は理想というものを持ちにくい時代になりました。
現実があまりにも重くなりすぎて、理想というものの価値が失われつつあるような――。
けれど「最初に理想ありき」です。
「こうありたい」「こうあって欲しい」という純粋な願いがあって初めて、新しい思想が生まれ育つのです。

「どこにもない」ユートピアについて考えるのは、大きな尺度によって現実の卑小さを知るためであり、現実の中にある理想を発見するためでもある。理想の形を知ってこそ、現実の歪みがわかってくるのである。

大人社会に反発を感じていた子供も、成長し、大人社会に交わるようになると、あの頃の反発などすっかり忘れて、大人になりきってしまう。
「大人なんてズルイ」「あんな大人にはなりたくない」なんて憤りも何処へやら。今じゃすっかりその“ズルイ大人”になりきっている。
人間てのは何にでも馴れてしまうものなんだ。
だからこそ、心のどこかに『理想の尺度』というものを持ち続ける必要があるのでは――?

子供たちが、仮に『この世界には善も悪もなく、要するに歴史はでたらめであり、この世は無意味な場所である』と知ったら、彼は生きる意欲を失い、勉強する気にもならないだろう。
もし、この世が無意味な世界であるとしたら、何を学んでも無意味と言うことになってしまう。この世界に意味があるからこそ、そこで人間がすることも意味を持つことができるのである。
教育の出発点はそのことを教えることである。
この世界は生きるに値する、意味あるところなのだと。

今ほど「虚無感」に憑かれた時代も無いでしょう。
一世紀も前から名だたる哲学者や文学者によって警告されてきたニヒリズムの到来は、今や大人だけでなく、子供の心にも深く入り込み、世界をまるで無意味なものにおとしめています。
本当の意味で物事を教える大人がいなくなった、というのもあるし、大人自身が意味を見失っているせいもあるでしょう。
何にせよ、子供たちが哀れです。
それでも「生きろ」と、いったい誰が彼らに胸張って言えるんでしょう?

↓ これは青少年向けの本ですが、大人が読んでも入門編として面白いですよ。

 ぼくたちのマルクス (ちくまプリマーブックス) (単行本)
 著者  木原 武一
 定価  ¥ 57
 中古 24点 & 新品  ¥ 57 から
 5つ星のうち 5.0 (1 件のカスタマーレビュー)

共産党先生の思い出

私の小学校の担任はバリバリの“アカ”でした。(5~6年生時の担任)
多分、大学時代には、率先して学生運動に身を投じていた事と思います。
授業の合間(特に歴史)に時々共産主義の話をするので、PTAからクレームが出たぐらいですが、先生は決して私たちに自分の主義主張を押し付けたりしなかったし、
「資本主義が正しいのか、共産主義が良いのか、それは君たちが大人になってから判断しなさい」といつも教えられていました。
そして、「社会学」こと「歴史」というものは、過去の過ちを学び、より良い未来を作る為にある“考える学問”だとも――。

ソビエトが崩壊した時、私は真っ先にその先生の顔を思い浮かべ、心の中で「先生、共産主義、崩壊しちゃったよ~」とつぶやいたものです。
あの時、「マルクスは間違いだった!」と叫んだ人は、きっと大勢いたことでしょう。
かつて自分がマルクスにかぶれていた事を恥じてる人もいるかもしれません。

20世紀を嵐のごとく駆け抜け、世界中の若者や労働者を熱狂させたカール・マルクスの思想。
今の私には、彼の説いた“方法論=共産主義=革命”の是非を判断することはできません。

でも、一言言うなら……

彼の思想に突き動かされて共産主義運動を展開した人々、また実際に革命を起こし、共産国を確立した人々は、本当に彼の唱えた理想を実践しようとしたのでしょうかね――?

もし彼が存命し、これらの運動を先導していたとしたら、もっと違う形のものが生まれていたのではないかという気が時々します。
――彼が望んでいたのは、こんなものじゃなかったのでは……とね。

ともかく時代の流れとともに、マルクスもお亡くなりになり、今じゃ「あれは間違いだった」派が多数を占めていますが、真実、彼の“方法論”が間違いだったとしても、
労働者を見つめる彼の眼――人間にとって労働とは何か、社会の中で真に人間を生かすものは何なのか――という、彼の分析、思想、そして理想は、未来まで通じるものだと私は確信しています。

なぜなら、「共産党宣言」も「資本論」も、すべては労働者を思う彼の理想と正義感から生まれたものだからです。

マルクスに関する書籍

マルクスに関する本も非常にたくさん出ていますが、初めての方は、いきなり著作から読まずに、まずは生い立ちや当時の社会背景について書かれたバイオグラフィーから入ることをおすすめします。

そうすれば、なぜマルクスがこういう主張をするに至ったか、という動機が見えてくるからです。

いたずらに体制批判したがるヒネクレ者ではなく、虐げられた労働者に対する社会的義憤なのだ、と分かれば、きっと身近に感じると思います。

 マルクス (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 3) (単行本)
 著者  エドワルド・リウス
 定価  ¥ 1,296
 中古 26点 & 新品  ¥ 74 から
 5つ星のうち 3.3 (5 件のカスタマーレビュー)

とりあえずマルクスのキャラクターと資本論の概略を理解したいなら、「人と思想」のビギナーシリーズがおすすめ。
1970年代調のサイケデリックなイラストも楽しく、文章も砕けた感じで、判りやすいです。
マルクスのみならず、なぜあの時代、このような思想が生まれたのか、そのあたりの時代背景もしっかり説明されていますので、雑学的に親しんで欲しい一冊です。

 マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫) (文庫)
 著者  マルクス, エンゲルス
 定価  ¥ 562
 中古 44点 & 新品  ¥ 1 から
 5つ星のうち 4.0 (42 件のカスタマーレビュー)

とても分厚くて、難解な本を想像しがちだけども、実物は非常にコンパクト、本というより冊子という感じで、案外簡単に読めます。
過激でもなく、扇情的でもなく、「幸福な社会とはこうあるべきではないか」という、マルクスおよびエンゲルスの熱い気持ちが伝わってくる、おすすめの一冊です。

 とっさのマルクス―あなたを守る名言集 (単行本)
 著者  的場 昭弘
 定価  ¥ 9
 中古 17点 & 新品  ¥ 9 から
 5つ星のうち 2.4 (2 件のカスタマーレビュー)

こちらはマルクスの思想と現代の問題を重ねながら、彼の名言を1節=1ページで紹介する初心者向けの本。
「難しい」というイメージを払拭する、手軽な一冊です。
ぱらぱらっと読みたい方におすすめ。
また、「あとがき」として、「マルクスに興味をもったら、次はこの本を読んでみるといいよ」という分かりやすい解説が添えられているので、若い方にも馴染みやすいと思います。

 マルクスる?世界一簡単なマルクス経済学の本 (単行本)
 著者  木暮 太一
 定価  ¥ 6,695
 中古 18点 & 新品  ¥ 950 から
 5つ星のうち 4.1 (16 件のカスタマーレビュー)

なぜ給料は横並び・右肩上がりなのか? 残業代が支払われるのは「搾取されている証拠」? 労働者が裕福になれない構造とは? 3時間でマルクス経済学の基礎が身につく超入門本。

 マルクス入門 (ちくま新書) (新書)
 著者  今村 仁司
 定価  ¥ 842
 中古 52点 & 新品  ¥ 9 から
 5つ星のうち 3.4 (16 件のカスタマーレビュー)

難しそうなマルクスを生い立ちと思想の両面から分かりやすく解説する書。
案外読みやすかった。
マルクスの壮絶な暮らしぶりは何度読んでも泣ける・・

Photo : http://www.rollingstone.com/music/news/marx-was-right-five-surprising-ways-karl-marx-predicted-2014-20140130
 
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