北斗の拳

きょうだいは平等に愛せるか 『北斗の拳』アサム王と三兄弟のエピソードより

私は18歳の時から『北斗の拳』の大ファンです。

私が少年ジャンプを買い始めた頃、「南斗六聖拳」→「ラオウとの死闘」とドラマも最高潮で、ラオウがケンシロウとの闘いに敗れて昇天した時は、あまりのショックに涙がちょちょぎれるほどでした。

『北斗の拳』といえば、「アタタタターッツ」というケンシロウの合いの声や、「アベシ!」と叫んで手足がちぎれる過激な描写ばかりが話題になりますが、物語の核にあるのは「人間とは」「男の生き様とは(少年ジャンプの場合、『漢』と書いて「おとこ」と読む」という、戦国武将のような哲学と仏教的な死生観であり、何度読み返しても飽きません。

しかし、第二の主人公とも言うべきラオウが昇天し、物語が1つの区切りを迎えると、その後はとってつけたようなエピソードが多くなりました。最後もたたみかけるように終わって、『北斗の拳』の最終回とは思えないほど、あっさり感じたものです。

ただ、後半のエピソードの中に、今も心に焼き付いて離れない話があり、その回だけは久々の巻頭カラーで、人気を盛り返したことがありました。

老王アサムと三人の息子の物語です。

アサムに関する情報は公式サイトでどうぞ。
http://www.hokuto-no-ken.jp/hokuto_archives/asamu.html

老王アサムと三人の息子

サヴァ国の老王アサムは拳の達人でもって知られ、近隣の野蛮族から豊かな国を守り続けていました。

アサムには三人の逞しい息子がありましたが、いずれも引かず、譲らずの激しい気性の持ち主で、兄弟喧嘩ばかりしています。

彼らに国を託せば必ず内紛になり、国民を不幸にするばかりか、あっという間に近隣の野蛮族に攻め滅ぼされるでしょう。

アサムは今も無敵であることをアピールする為に、不治の病を必死に隠して、毎日、国民の前で、獰猛な野獣と戦い続けていました。

しかし、命が尽きるのも時間の問題です。

父の苦しみを見るに見かねた王女サラは、偶然出会ったケンシロウに、「父を助けて下さい」と懇願します。

流れ者でもあるケンシロウは黙って通り過ぎようとしますが、アサムの懸命な姿を見て、「こんな時代に、まだ、このような漢(おとこ)が――。この国にはとどまる価値があるかもしれぬ」とサラに助力します。

それを知ったアサムは怒り狂い、「どこの素性とも知れぬ男に我が秘密を知られて、黙って返すわけにいかぬ」とケンシロウに拳を振るいます。

が、逆にケンシロウに諫められ、愚かな息子たちの生い立ちを語り始めます。

子供たちが幼い頃、アサムは占い師から、

「あなたの息子たちはそれぞれが帝王の星を持っている。このまま生かしておけば、国は三つに割れ、災いが起きるでしょう。今のうちに一人を選び、残りの二人は殺すのです」

と予言されます。

しかし、「国王といえど、父だー!」とアサムは占い師の忠告をはねつけ、息子たちを徹底して平等に育てることにしました。

平等に育てさえすれば、兄弟仲良く力を合わせ、立派な後継者になってくれると信じたからです。

息子たちは、母を亡くして淋しい思いをしていることもあり、アサムは、物も、心も、時間も、すべてを平等に分け与え、たとえ末っ子が長兄にお菓子を多めに与えようとしても、

「弟だからといって遠慮することはない。お前も、兄も、平等なのだ」

と、徹底して三等分を貫きました。

その結果、息子たちは、引くことも、譲ることも知らず、常に平等を主張して奪い合う、傲慢な人間に育ってしまったのです。

もはや父王の忠告を受け入れることもなく、後継者争いに目をぎらつかせる息子たちに対し、為す術もないアサム。

そんな老父の哀しみを知ったケンシロウは、ある日、息子たちの前に現れ、「この国はオレがもらう!」と宣言します。

「そんなことはさせぬ」と息子たちはケンシロウに襲いかかりますが、拳で叶うはずがありません。

長兄が殺されそうになった時、初めて兄弟は力を合わせ、命乞いをしました。

父アサムの哀しみをようやく理解した息子たちは、心を入れ替え、長兄を中心に三兄弟が一つとなって国を治めることを誓います。

その姿を見届けたアサムは、幸福のうちに息を引き取りました。

エピローグ、末っ子のサトラは、国を兄に任せることを決意し、恋人の待つ隣国へ旅立って行きます。

「弟は、兄のお下がりを着ることが出来るが、兄は、弟のお下がりを着ることは出来ぬ」

という言葉を残して──。

きょうだいは平等に愛せるか

『北斗の拳』が多くの読者をつかんだ理由の一つに、壮大な『兄弟げんか』が挙げられます。

たとえば、全編の核であるラオウとの死闘は、北斗神拳の師父であるリュウケンが、末弟であるケンシロウを伝承者に選んだことが発端となっています。

三男の凶暴なジャギは、

「兄よりすぐれた弟なんて~」

と、ケンシロウを激しく憎み、復讐を仕掛けます。

長男のラオウも、兄としての意地からケンシロウを打ち倒そうとします。

この兄弟間の葛藤が、男兄弟をもつ読者には共感するところが大きかったのでしょう。

「きょうだい」と言えど、いつもいつも仲良くできるわけではありません。

自分で劣等感を感じることもあれば、両親や周囲に比べられることもあります。

時に、憎み、羨み、激しく葛藤する気持ちが分かる人には分かるのだと思います。

ところで、この「きょうだい」。

親の目には平等でも、きょうだい間には歴然とした上下関係があるものです。

弟より兄、妹よりは姉の方が一日の長がありますし、周りにも重く見られたいのが人間の性分です。

そのように兄(姉)として頼られ、『格』を尊重されるからこそ、弟(妹)を慈しむことができるのです。

親がきょうだい間の『格』を踏みにじり、大人になっても弟に兄の名前を呼び捨てにさせたり、人前で兄の欠点を平気であげつらうようになると、兄も面目が立たなくなり、弟や両親を恨むようになります。

表面上、どれほど仲良く見えても、いつか財産争いや介護の押しつけといった形で憎悪や嫉妬の念が露わになるでしょう。

老王アサムと三人の息子のエピソードが人気を博したのも、きょうだい育児における「平等の理想」に一石を投じ、兄弟間の力関係を分かりやすく描いたからだと思います。

一見、平等は正しいことと思うかもしれませんが、人にはそれぞれ重んじられる立場があり、誇りがあります。

それを無視して、形だけ平等を貫いても、それは「平等という名の不平等」であり、誰をも幸せにしないのです。

きょうだというのは、どうやっても、相手の方がより多くを得て、自分は損している――と感じがちです。

弟ばかり依怙贔屓して、自分は両親に愛されてないと逆恨みする子もあるでしょう。

「だから不幸になる」のではなく、親が気配りすることで、こうした理不尽な体験が他者への思いやりや処世の術を育む面もあります。

せっかく「きょうだい」に生まれたのだから、いいところも、悪いところも、親子共に学ぶ気持ちで向かい合ってみませんか。

愛においては『同等』でも、きょうだいの『格』は違うもの。

このきょうだいの機微を理解してはじめて、兄は兄らしく、弟は弟としての、納得いく人生を歩むことができるのではないでしょうか。

アサム王のエピソードはオリジナル版『北斗の拳』26巻に収録されています。

体を病んでいても民衆に力を誇示し続けなければならないサヴァの国王アサムの姿を見て、ケンシロウは国王の後継を引き受ける。それを知って、国王の座を巡って争い続けるアサムの三人の息子、カイ・ブコウ・サトラが、ケンシロウに闘いを挑んだ。だがまったく相手にならないほど強いケンシロウを前に、三人の兄弟は和解し、協力してサヴァを継ぐことを誓う。そのころ、国王アサムは雪原でヒューモに襲われて命を落とす。そして三兄弟の長男カイも、極北の聖国ブランカの槍に倒れた。ブコウをサヴァに残し、末弟のサトラはブランカの王女ルセリに会うためブランカに向かう。しかし、かつての信仰心厚き国ブランカは、光帝バランの狂信者たちの国に変貌していた……。 (ebookjapanの解説より)

初稿:2009年2月13日

このRemix、上手いですよね。世界観をよく表していると思います。TOM-CATのオープニング『Tough Boy』も大好きです。

たっぽい、たっぽい ヾ(´∀`*)ノ

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