第五編 第五節-2 悪魔の三つの問い

人間の様子を見るため、異教徒の火刑場に現れたイエス・キリストは、90歳になる大審問官に捕らえられ、牢に繋がれる。
大審問官は、一人で牢を訪ねると、燭台の置かれたテーブルをはさんで、イエスにこう言い放つ。

「いまこそこの人間たちは、かつてのいかなるときにもまして、自分たちが完全に自由であると信じ切っておるのだ。そのくせ彼らは自分からすすんでその自由をわしらに捧げ、うやうやしくわしらの足もとに献呈してしまっておるのだがな」

人間にとっての行動や価値観の選択の自由は、逆に、悪霊(=否定や反逆の側)に取り込まれる原因になった。

その主張に続いて、荒野での『悪魔の三つの誘惑』が語られる。

人間は生まれつき反逆者なのだ。だが汎着者がはたして幸福になれるだろうか? おまえにしても何度も警告を受けたはずだ(荒野の試練)。

ところがおまえは警告に耳をかさず、人間たちを幸福にできる唯一の道をしりぞけてしまった。ただ、幸いなことに、この世をさるにあたって、おまえは自分の事業をわしらに譲っていってくれた。これはおまえが約束したことなのだ。

<中略>

偉大なる悪魔(かつて恐ろしい霊、賢い悪魔、自滅と虚無の悪魔)が荒野でおまえと問答をしたことがある。聖書の伝えるところによると(『マタイ福音書』第四章)、悪魔がおまえを誘惑したとかいうことだ。

だが、そうだろうか?

そもそも、悪魔が三つの問いの形でおまえに告げ、おまえが拒否したこと、そして聖書の中では≪誘惑≫と呼ばれていること以上に真実なことを、何かほかに言いうるものだろうか?

実を言えば、もしかつてこの地上にまこと驚天動地の奇跡が存在したことがあるとすれば、それはあの日、あの三つの誘惑の日をおいてほかにないいのだ。

この三つの間が出現しえた事実そのものにこそ奇跡が含まれておったのだ。まあ、ほんのためしにでもよいから、仮に悪魔のあの三つの間が聖書の中から跡形もなく消え失せてしまって、それを復元するために、つまり、ふたたびそれを聖書の中に書き込むために、あらためてそれを考案し、文章に作りあげなければならなくなったと想定してみようではないか、そしてそのために、この地上のありとあらゆる賢者たち――為政者や、抗争や、学者や、哲人や、詩人たちを集めて、彼らにこんな設問をしてみるがよい、

さあ、三つの問を考えだして、文章にまとめてくれ、ただしそれは、事がらの大きさにふさわしいものであるばかりでなく、さらにそのうえ、三つの言葉、わずか三つの人間の語句だけで、世界と人類の未来の全歴史を表現しつくしているようなものでなければならない、というわけだ。

マタイ福音書 第四章 『誘惑を受ける』の内容は次の通り。

さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、精霊(神の霊)に導かれて荒れ野(おそらくエルサレムとイエリコとの間にある地域)に行った。そして、四十日間、昼も夜も断食した後、飢えてしまった。

すると、悪魔が誘惑しようとやって来て、イエスに、おまえが「神の子」なら、そこらの石がパンになるように命令したらどうだ」と言った。

イエスは答えた。

人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と聖書に書いてある。

次に、悪魔はイエスを聖なる都エルサレムに連れて行き、神殿の屋根の上に立たせて、言った。

「お前が(神の子)なら、飛び降りたらどうだ。『神が天使たちに命じると、お前の足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手でお前を支える』と書いてあるのだ」

イエスは「『お前の神である主を試してはならない』とも書いてある」と答えた。

さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世界中の国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、お前がひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんあお前にやろう」と言った。

すると、イエスは答えた。「退け、サタン。『お前の神である主を礼拝し、ただ主に仕えよ』と書いてあるのだ」。

そこで悪魔は去って行った。

すると、代わって天使たちが来て、イエスに仕えていた。

新約聖書 共同訳全注 (講談社学術文庫)

大審問官いわく、「この三つの問いには、その後の人類の全歴史が いわば不可分の一体として総合され、預言されているし、また全地上にわたる人間の本性の解きえない歴史的矛盾のすべてが三つの比喩に集約されて示されているからだ」。

一つ目の問いに対して。

おまえは、人の生きるのはパンのみによるにあらず、と反駁した。

しかし、よいかな、ほかでもない、この地上のパンの名においてこそ地上の悪魔はおまえに叛旗をひるがえし、おまえと戦って、おまえを打ち負かすのだぞ。そしてすべての人間が、「この獣に似たものこそ、天上の火を盗んでわれらに与えてくれたのだ!」と叫びながら、悪魔のあとについて行ってしまうのだ。

おまえは知っておるのかな、これから何世紀かが経つと、人類は自分たちの英知と科学との口を借りて、犯罪はない、したがって罪もない、あるのはただ飢えた者たちだけだ、と公言するようになる。

≪まず食を与えよ、しかるのち善行を求めよ!≫

こう書かれた旗がおまえに向かって押し立てられ、その旗でおまえの神殿が破壊されることになる。

カラマーゾフ随想について

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  • どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。 その後、彼は死ぬまで父を忘れず、その生き様を指針にするわけだが、愛とは何かと問われたら、慈しむだけが全てではない。身をもって生き様を示す勇気も至上のものだろう。 誰でも犠牲は怖い。  自分だけ馬鹿正直をして、損したくない気持ちは皆同じだ。  だが、その結果、一番側で見ている子供はどうなるか、いわずもがなだろう。  言行の伴わない親を持つほど不幸なことはない。  たとえ現世で馬鹿正直と言われても、本物の勇気、本物の優しさ、本物の気高さを間近に見ることができた子供は幸いである。 どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。...
  • 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。 どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを「創造的な生き方」と言います。 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。...
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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。
※ 現在、制作巣ごもり中につき、ほとんど更新していません。