子は永久に『子』~父親という人生の負債(7)

江川卓訳(集英社)『カラマーゾフの兄弟』をベースにしています。
詳しくは「江川訳をお探しの方へ」をご参照ください。 ※ まだ道半ばです

第1編 ある一家の由来

第5節 長老

『カラマーゾフの兄弟』の面白いところは、皆、やってることがハチャメチャにもかかわらず、『根っからの悪人』は一人も存在しない点である。

淫蕩父のフョードルにしても、激情家のドミートリィも、実際に周りにいたら迷惑この上ないが、彼等が本気で人を騙したり、傷つけるつもりでそうしているかといえば、決してそうではなく、自分に正直に振る舞った結果であり、そこに邪心はない。邪というなら、澄ました顔で後ろから殴る奴、ニコニコしながら陰口を叩く人間の方がよほど悪質だ。フョードルも、ドミートリィも「どうしようもないクズ」には違いないが、人間としては、結構、純粋な部類に入るのだな。”周りをうんざりさせる”という点を除いては。

そんな彼等の人間性を表す例として、こんな場面がある。

ちょうどこうした時期に、この乱暴な一家全員の顔合わせ、というより一種の家族会議が長老の庵室で行われ、それがアリョーシャに異常に強烈な印象を与えることになった。

この会合の名目は、実を言うと、まったくいい加減なものであった。

折りから、遺産相続と財産上の決済をめぐるドミートリィと父親フョードルのいさかいは、明らかに、もうどうにもならないところまで行って、二人の関係は手のつけられぬほど緊迫化していた。そこで、なんでもフョードルのほうから、おそらくは冗談半分に、ひとつゾシマ長老のところにみなで集まってみたら、という案が出されたということらしい。直接に長老の仲裁を求めないまでも、長老の地位と顔がものをいって、ことも穏便にはこび、いくらかはまともに話もまとまるのではないかというわけだった。

ここで興味深いのは、おそらくは冗談半分にという記述だ。

高徳の僧、ゾシマ長老に、金銭問題の調停を依頼するにあたって、フョードルには二つの動機がある。

一つは、本当に父親として無力であることを痛感し、どこかの偉い人に問題を丸投げしたい気持ち。

もう一つは、相手の徳が高ければ高いほど、おちょくって、引きずり落としてやろうという、ふざけた根性だ。陰湿ではなく、いけず。

見方を変えれば、フョードルも表面的にはハチャメチャだが、内実は人間観察力に優れ、頭もいい。人間を解すユーモアがあるから、高徳の僧をおちょくってやろうという気にもなるのだ。それはまた、イワンやアリョーシャの頭の良さに通じるものがある。

一方、長男のドミートリィは、

長老を訪ねたことはもちろん、その顔も知らなかったドミートリィは、むろんのこと、長老なんぞかつぎ出してきて自分をおどかす来だな、と勘繰ったが、このところ父親とのいさかいでひどく乱暴な振舞に出ているのを、内心苦に病んでいた矢先であったので、この申し出を受けて立つことにした。

“内心苦に病んでいる”のですよ、皆さん……。

これが『子』たるものの正体と言えば、納得して頂けるのではないかと思う。

父親を殺したいほど憎んだとしても、親は親、子は親には永久に逆らえない。

たとえ相手が強欲な淫蕩父でも、育児放棄するような親でも、子は生まれながらに十字架を背負わされたように、親を慕って生きていく。

心底から否定などできるわけがない。それゆえに苦しむのである。

この時点で、ドミートリィの内心の葛藤がはっきり書かれている以上、後の父親殺しの容疑者には成り得ない。少なくとも、読者には「ドミートリィではない」と分かる。

彼は殺したいほど憎んでも、実際に父親に手をかけるほど、背信的にはなれないのだ。たとえ、アリョーシャのようにキリスト教に帰依しなくても、生まれながらに人間に組み込まれた善性によって、そうした畏れと自制心を備えている。

この二箇所の対比を見れば、この悶着において、フョードルがどれほど立場が強いか分かるだろう。それはまた、あまたの父子関係にも当てはまることである。

親の因果が子に報い……というけれど、ドミートリィもとことん哀れだ。

彼は父親の分まで良心の呵責に苦しみ、その咎を償う為にこの世に生まれてきたようなものである。

江川卓訳による読み直し

江川訳による読み直しプロジェクトはこちらです。(遅々として進んでおりませんが) メモが大量にあって、スキップしている箇所もありますが、注釈なども素晴らしいので、興味のある方はぜひ。 http://novella.blog/chapter/egawa
Photo:Witold KapciaによるPixabayからの画像

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QUOTE CARD

  • どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。 その後、彼は死ぬまで父を忘れず、その生き様を指針にするわけだが、愛とは何かと問われたら、慈しむだけが全てではない。身をもって生き様を示す勇気も至上のものだろう。 誰でも犠牲は怖い。  自分だけ馬鹿正直をして、損したくない気持ちは皆同じだ。  だが、その結果、一番側で見ている子供はどうなるか、いわずもがなだろう。  言行の伴わない親を持つほど不幸なことはない。  たとえ現世で馬鹿正直と言われても、本物の勇気、本物の優しさ、本物の気高さを間近に見ることができた子供は幸いである。 どんな高邁な理想も、言葉だけでは人は動かせない。 身をもって示して初めて、理想が理想としての意味をもつ。...
  • 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。 どんなに小さくても、昨日よりは今日、今日よりは明日、少しずつでも歩みを進め、善きものを積み上げることを「創造的な生き方」と言います。 「創造的」というのは詩を書いたり、絵を描いたり、という意味ではありません。無の平原から意味のある何かを立ち上げることです。 より良く生きる為に、日々、考えること、実行すること、その全てが『創造』です。...
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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。
※ 現在、制作巣ごもり中につき、ほとんど更新していません。