iイワン カラマーゾフの兄弟

無垢な涙の上に万人の楽園を築けるか? 

カラマーゾフの兄弟(江川卓訳) 第五編 第四節より

虐待される子供の悲劇を目の当たりにして、イワンは無神論へと傾いていく。それは神を皮肉る虚無ではなく、神の創った世界(規範)の中で生じる理不尽に対する憤りであり、子供への憐れみの気持ちだった。

それでも、信仰心の篤いアリョーシャは、「反逆です」とイワンの理に異を唱える。

「それは反逆です」 アリョーシャは目を伏せて、小声で言った。

「反逆? おまえからそんな言葉を聞くつもりはなかったな」 イワンはしみじみとした調子で言った。

「反逆なんかで生きていけるかい、ぼくは生きていたいんだぜ、ひとつ率直に言ってほしいんだが、ぼくが挑発的な質問をするから、答えてみてくれないか。仮におまえが、究極において全人類を幸福にし、宿願の平和と安らぎを人類にもたらすことを目的として、人類の運命という建物を自分で建てていると過程しよう、ところがそのためには、たった一人だけだが、ちっぽけな、ちっぽけな一人の人間を責め殺さなければならないとする、それは、たとえば、小さな拳を固めて自分の胸を叩いていた例のあの子でもいい、そして、その子のあがなわれない涙の上にこの建物の土台を築くことが、どうしても避けられない、不可欠なことだとする、だとしたら、おまえはそういう条件でその建物の建築技師になることを承諾するだろうか、さあ、嘘はぬきで答えてみてくれ!」

「いや、承諾しないでしょうね」 アリョーシャは小声で言った。

承諾できないのが自然な感情と思う。

大勢はその建物に満足しても、犠牲になった子供の苦痛はどうなるのか、という話。

だから、アリョーシャも「承諾しないでしょうね」と答えざるをえない。

「じゃ、おまえはこういう考え方を認めることができるかい、つまり、そうやっておまえに建物を建ててもらっている人たちが、責め殺された子供のいわれない血の上に築かれた自身の幸福を自分からすすんで受け入れて、いったんそれを受け入れたからには、永久に幸福でありつづけるだろう、という考え方さ」

「いいえ、認められません、兄さん」 アリョーシャはふいに目をきらきらと輝かせて言った。

「兄さんはたったいま、この世界に赦すことのできる、赦す権利をもった人がいるだろうか、と言いましたね。ところが、そういう人はいるんですよ。その人はありとあらゆる人、ありとあらゆるものに対して、しかも一切の罪を赦すことができるんです。なぜって、その人はあらゆる人、あらゆるものに代わって、自身の無実の血を捧げられたからです。兄さんはこの人を忘れていましたね、その建物だって、その人を土台にしてこそ築かれるんですよ、その人に向かってこそ、『主よ、汝は正し、汝の道の開けたればなり』の叫びが寄せられるんじゃありませんか」

「ああ、それは≪唯一の罪なき人≫と、その人が流した血のことだろう! いや、忘れてなんかいるもんか、それどころか、おまえがいつまでもその人のことを持ち出さないので、さっきから不思議に思っていたくらいだよ。だって、こういう議論になると、おまえの仲間たちはたいていまず真っ先にその人を持ち出してくるじゃないか」

≪唯一の罪なき人≫と、その人が流した血のこと=イエス・キリストのこと。

イワンの視点は、どこまでも地上的で、現実社会の理不尽に対しては、徹底的に否定の立場を取る。

しかし、アリョーシャの視点は天界にあって、こうした理不尽も含めて「すべてを赦す存在」としてのイエス・キリストを認め、信じている。

極端な喩えになるが、戦争当事国と、国連調停国と考えると分かりやすい。

戦争当事国の言い分は、どこまでも平行線だ。なぜなら、現実の利害に基づいて、どちらが正しい、どちらが間違いの視点で戦っているからだ。

だが、アリョーヤの視点は、当事国から一歩離れて、調停する側にある。調停者はジャッジはしない。A国もB国も、それぞれに主張があり、どちらが正しいかジャッジを持ちこむ限り、問題は永遠に解決しないからだ。そうではなく、それぞれの言い分、それぞれの間違いを受け入れつつ、平和に導く。イエス・キリストは、そうした高次的な存在であり、当事国の理屈で解決しないものを平定する為に正義を説いている。

イワンが求めているのは、A国かB国か、どちらが正しいかというジャッジであって、万国の平定ではない。当事国の領域にある限り、この諍いは永遠に続いていく。だが、真に平和を求めるなら、さらに高次な次元に指針を求めるべきではないか……というのが、アリョーシャの考え方だ。当然、その中には、理不尽な死に方をした市民や両者間の不公平も含まれるが、それをも包括して、赦し、導く存在がなければ、世の中など永遠に争い続けるだろう。

イワンにしてみれば、そんなものは偽善だ、現に死んでしまった市民の血はどうなるのだ、という気持ちだろうが、だからといって、調停国の存在まで無意味というわけではなく、私たちは、どこかでそうした概念を持たなければ、社会も人間性も無秩序になって崩壊してしまう。

イワンの言うとおり『神は人間が創り出したもの』としても、人間の次元で計り知れない概念があるから、一方で、私たちは高貴にも、寛容にもなれるのではないか。

そして、この論争は、大審問官へと繋がっていく。

火刑所に現れたイエス・キリストは、「パンのみに生きるにあらず」の教えに疑問を呈する大審問官に何と答えるのだろうか。

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