カラマーゾフの兄弟 イワン

イワンと無神論 自己卑下と高い知性が結びつく時

第一章 第三節 再婚と腹ちがいの子供たち

先妻のアデライーダが亡くなると、フョードルは薄幸の若い女性ソフィヤ・イワーノヴナと再婚する。

身寄りのないソフィヤは、ヴィロホフ将軍の有名な老未亡人の裕福な家庭で成長するが、十六歳の時、老夫人の苛めを苦に自殺を図る。

そうした弱みにつけ込み、フョードルは彼女と再婚するが、淫蕩ぶりは相変わらず。家の中に女を引っ張り込み、乱痴気騒ぎは日常茶飯事。

とうとう、ソフィアは「わめき女」(原卓也訳では「癲狂病み」)と呼ばれる、ヒステリー発作を伴う病を煩い、イワンとアレクセイを生んだ後、亡くなってしまう。

残された二人の息子は、ソフィアの後見人であった老未亡人に引き取られ、老未亡人の死後は、エフィーム・ペトローヴィチ・ポレーノフという貴族団長が責任をもって二人の息子を養育するが、イワンだけは他家の世話になっている生い立ちを恥じ、だんだん気難しくなっていく。

もっとも、兄のイワンについては、彼が成長するにつれて、どこか気むずかしい少年になったこと、けっして内気というのではないが、もう十歳くらいのころから、なんといっても自分たちは他人の家で、他人のお情けにすがって暮らしているのだ、そして自分たちの父親は、それこそ口にするのも恥ずかしいような人間だ、等々、という自覚をもっていたようであることを伝えておきたい。

しかしながら、頭脳は優秀で、大学にも進学するが、ボレーノフ氏の財産に関する手続きの落ち度から、イワンに十分な学費や生活費が回らず、最初の二年間はずいぶん苦労させられることになる。

イワンは自活の道を講じながら、勉学に励むことになるが、やがて新聞社に寄稿するようになり、彼の書いた記事は注目を集めるようになる。

その過程で、イワンは『教会裁判の問題』をテーマにした論文を発表し、物議を醸す。

この教会裁判の問題とは、江川氏の注釈によると、

ロシアの正教会は、信仰上の問題にかかわる罪については、領聖(聖体をいただくこと)の不許可から波紋にいたる罰則を設け、ほかに故意の殺人者には二十年の懺悔刑(公衆の面前での懺悔の強制)を課するなどの教会裁判を行ってきた。1864年にロシアの裁判制度の改革が行われるとともに、教会裁判の改革についても立法化の動きが表面化し、これにともなってジャーナリズムでも広くこの問題が論議された。

この論議は、主として、教会裁判における国家機構の役割を強化しようとする派と、教会の自治機能を強めようとする派との間で行われ、後者の見解を代表するゴルチャコフの論文『教会法の科学的立論』をドストエフスキーは参考にしたらしい。

作中、この箇所で、具体的な内容は明らかにされていないが、

教会派の多くの者が、この論文の筆者を断然自分たちの味方とみなしたのに対して、意外なことに、教会派と並んで、民権派ばかりか無神論者たちまでが、これに負けじと喝采を送りだしたのである。

とどのつまりは、一部の慧眼な人々が、この論文は全編これ冷笑的で不遜きわまる悪ふざけにすぎないと断定して、けりがついた。

私がこの事件についてとくに一言するのは、この論文が折しもこの町の郊外にある有名な僧院でも読まれるようになったためである。

イワンがキリスト教や現行の教会制度についって、独特の見解を有していることを強調。

思想的にはある種の一匹狼で、屁理屈をこねては、既成概念や正論とされるものを揶揄するのが得意。ネットにも多いね、こういうタイプ。

しかしながら、イワンがニヒルになるのも無理はない。

幼少時、人生一番最初にして、もっとも身近な『神』である父親に見捨てられたのだから。

それも”口に出すのもはばかるような男”となれば、自分を恥じ、自身や周囲に対しても、自嘲的かつ冷笑的にもなるだろう。

一番信仰を欲しているのは、他ならぬイワンであり、それに裏切られたから、反動として無神論者になった……とも考えられる。

彼の神否定は、父親否定でもあり、見捨てられた悲しみに対する最大の抵抗が不信だったのではないか、と。

そして、その精神的構えは父フョードルにも伝わる。

次男のイワンに対し、いまひとつ強く出られないのも、頭の良さというよりは、精神的な負い目ゆえという印象だ。

青年は老人に対して明らかに影響力さえもっていた。なるほど老人のほうは、ときには当てつけと思えるくらい、異常に我を通すこともあったが、どうかすると青年の言うことを素直に聞くようなときもあり、いくぶん品行があらたまったかのように見えるときさえあった……

イワンは、フョードルの裁判官でもある。

アリョーシャのような天界の存在ではなく、現世でなしたこと全てを見届けて、厳然と裁きを下す、フョードルにとっての大審問官だ。

息子に気圧されるのも、息子を見捨てた父親の弱みであり、宿命でもある。

管理人のつぶやき
管理人の率直な感想を申せば、人間として一番深い懊悩を感じるのはイワンです。
ドミートリィは、風の吹くまま、気の向くままの俗人で、あまり知性は感じられないし、アリョーシャは善良すぎて、全部「赦し」にいっちゃう。
イワンはなまじ頭がよくて、高尚であるがゆえに、人の倍ほど気苦労するタイプ。
三兄弟の中では一番短命で、さながら”世を憂いすぎてアミバ化したトキ”という感じ。
誰に一番同情するかといえば、やはりイワンでしょう。
なんでカチェリーナみたいなヒステリックな女と恋に落ちたのか、はなはだ疑問だが、はたと目が覚めてクールになる過程は非常に分かります。
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