居酒屋 ドストエフスキー

ぼくの若さがすべてに打ち勝つよ ~ どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪感にも 

カラマーゾフの兄弟(江川卓訳) 第五編 第三節 『兄弟相識る』より

料亭『みやこ』での語らいはこちらを参照のこと。
江川卓 イワン&アリョーシャと楽しむ『カラマーゾフのロシアンティー(さくらんぼのジャム)』

アリョーシャは、金銭問題と兄弟らの恋愛関係についてカチェリーナと話し合った後、ドミートリィに会うつもりで料亭『みやこ』に出掛けるが、そこには先にイワンが居て、兄弟みずいらずで食事をすることになる。ドミートリィは異母兄だが、イワンとアリョーシャは同腹。

料亭『みやこ』の場面は、ガッデム! 料亭『みやこ』-カラマーゾフの迷宮-にも書いたように、物語の核を成す重要なパート。

イワンの無神論とアリョーシャの信仰、相対する二つの価値観が向かい合い、イワンが素直に自身の葛藤について語る、非常に印象的な場面だ。

この後に『大審問官』が続くわけだが、あの難解な寓話を理解するには、イワンの思考の流れを最初から追わないといけない。

そして、同腹の兄弟の、温かな情愛と。

「おまえはどういうわけかぼくを好きらしいね、アリョーシャ?」
「好きですよ、イワン、ドミートリィ兄さんは、イワンは墓石だ、って言いますけどね、ぼくなら、イワンは謎だ、って言いますね。兄さんはいまでもぼくにとっちゃ謎ですがね、それでも何かはつかめましたよ、といっても、つい今朝のことですがね。
<中略>
兄さんもやはり、ほかの二十三歳の青年とそっくり同じような青年だってことなんです。同じように若くて、若々しくって、元気はつらつとした男の子、そう、言ってみれば、まだ嘴の黄色い男の子だってことなんです! どうです。そんなに気を悪くはしないでしょう」

「それどころか、あまりに符号していてびっくりさせられたよ!」イワンは愉快そうに、熱のこもった調子で叫んだ。

<中略>

たとえおれが人生を信じられなくなり、愛する女性に幻滅し、事物の秩序に疑念がきざしたとしてもだ、いや、その反対に、いっさいは無秩序な、呪わしい、ひょっとしたら、悪夢そのものの混沌だという確信をもつにいたって、人間の幻滅の無残な結果に震撼させられるとしてもだ――それでもおれは生きていきたい、いったんこの杯に口をつけたからには、それをそこまで飲み干さぬかぎり、てこでも離れてやるものか!

もっとも30になったら、たぶん、まだそこまで飲み干していなくても、杯なんかほったらかして、どこへ行くことになるのか――さっさとどこかへ行ってしまうだろうがね、しかしぼくが三十歳になるまでは、確信があるんだが、ぼくの若さがすべてに打ち勝つよ――どんな幻滅にも、人生に対するどんな嫌悪感にもね」(293P)

私もこの台詞は大好き。

それまでむっつりした印象のイワンが、途端に生き生きした青年に感じられる。

イワンも、根本的には、生の肯定者であり、愛の人でもある。

ただあまりにも理不尽な世の中に幻滅して、「神も仏もあるかい!」という気持ちになったのがニヒリズムの走り。

もとから虚無的な人間にニヒルなど感じようがない。

むしろ愛深き人こそ、反動で虚無に走る。

*

ちなみに『杯』とは、江川氏の注釈によると、シラーの歓喜の歌にある「生命の杯」を指すものと考えられる。ドミートリィが引用していた詩の中に見える。ただ293ページ上段のイワンの論議にも見られるように、この「杯」という言葉には肉欲的なニュアンスもかかわっている。
ちなみに、ダン/ブラウンの小説(映画)『ダ・ヴィンチ・コード』でも、『杯』(逆三角形)は女性を表すシンボル、という解説がありました。絵画『最後の晩餐』に描かれた逆三角形がマグダラのマリア=イエスの妻を意味する、という謎解きです。即ち、『聖杯』とは、イエスの子を産んだマグダラのマリアの女性性を指すと。参照リンク→我に触れるな Noli Me Tangere マグダラのマリア

↓ 強くお断りしておきますが、注釈は、ダン・ブラウンの解説であって、史実じゃないですよん。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐

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