都市 建築

生かす創造 壊す創造 環境と建築 安藤忠雄の『連戦連敗』より

何でも「作ればいい」というものではないと思う。

創造というのは、その名の通り、自分も生かし、周りも生かすことだから、その創作物の為に周りが不幸になったり、百年先まで祟られるなら、それは創造ではなく、破壊だろう。

日本では一口に『つくる』というけれど、英語には、make、create、produce、build いろんな単語があって、それぞれにニュアンスが違う。

もちろん、日本語にも、製作、制作、創作、作成、など、様々な言い方があるが、動機、目的、手段、結果として形成されるもの、等において、明確に使い分けているのは英語の方に感じる。特に create は、天地創造を思わす神聖な響きがある。無から価値あるものを作り出すイメージ。

『クリエイティブ』というだけで、何やら有り難い後光が射して見えるのだから、言葉の魔術は偉大である。

しかしながら、何でも作ったものが周りを幸福にするかといえば決してそうではなく、破壊をもたらすものも少なくない。家を作るにも、トンネルを掘るにも、木を切ったり、山を崩したり、破壊なくして成り立たないが、一方で、幸せな家庭を育んだり、地方に活気をもたらしたり、プラスに働くこともある。あくまで人間の側から見て……といえばそれまでだが、環境とバランスを取りながら機能する創造もある。

それとは対照的に、後世に多大な負債を残したり、自治体のお荷物になったり、お世辞にも良質な創造とはいえない建築もある。公共の建築である以上、社会的な使命も帯びるのが、全ての建築に共通していえることだ。

それについて、安藤忠雄氏は著書『連戦連敗』でこのように書いておられる。

戦後日本が憧れ、夢見て追い求めたのは戦勝国アメリカの圧倒的な物質の豊富さとその消費の仕方、その便利さという<豊かさ>でした。50年代の、アメリカ西海岸のケーススタディ・ハウスに通じるような大きな冷蔵庫と洗濯機を備えた白くて明るい郊外型住居、そして自家用車を乗り回すアメリカ風の近代生活、人々はそんな暮らしを夢見てがむしゃらに働き続け、セイフもまたそうした傾向を助長するような制作を打ち出していく。国土の大小、資源の倦む、生活習慣の違いといった問題を顧みることなく、ただその結果だけを真似ようとした、その無理が、瀬戸内海の傷跡として残されてきたのです。<前に、瀬戸内海の環境破壊について述べられている>

無論、これまでの日本人の生き方の全てを否定するつもりはありません。アメリカに夢を見た人々の頑張りこそが、敗戦国日本の奇跡的な復興を可能にし、驚くべき経済成長を可能にした原動力となったのですから。けれども、少なくとも今を生きる私達までもが、いつまでもその延長戦で自分たちの生活を考えてはいけないのは確かだと思います。皆が意識を変えていかなければ、受け継いでいくべき未来への遺産は、失われていく一方です。

昭和的なやり方が通じなくなっているのは、建築に限らず、政治、経済、文化、医療福祉、全てにおいていえること。

現代は、力まかせのブルドーザー的な進歩ではなく、強いものも弱きものも共に歩むような、調和的な考えに変わってきている。

ある意味、建設ラッシュなどは、社会の情勢を具現するものであるから、そこに込められた思想が今後数十年の未来を示唆するといっても過言ではない。
たとえば、再開発地に高層マンションを建てるのか、万人に開かれたコミュニティ施設にするかで、地域の未来は大きく違ってくるし、同じ集合住宅にしても、中間層のニューファミリー向けと、セキュリティ強化したゲーテッドコミュニティでは、様相そのものが異なる。そのコンセプトは、外観の印象だけでなく、自ずと社会の指針となるものだ。

デザインの目標となるものは、必ずしも『美』や『機能』だけでなく、社会的な役割も非常に大きい。高層マンションが人気だからといって、あれもこれも高層で真似るのは、その一瞬は効果的かもしれないが、思想を欠いたものは、いつか社会に取り返しのつかない傷跡を残すのではないだろうか。

建築とは美学的な視点、歴史的、社会的な視点をもって、素材、技術、工法、構造力学、経済条件といったさまざまな要素を総合的に組み立てることで成り立つものです。最終的な構造物をイメージしながら積み重ねられるそれぞれの過程での一つ一つの意志決定こそが、デザインと呼ばれるわけです。

建築家は、自らの思う建築概念の実現と地理的条件、力学的条件、技術的条件、法規による棋聖、経済的制約といった現実の諸条件の双方を考えながら、その状況における最適な解答を見つけていきます。このせめぎ合いの中で、概念に形が与えられるのです。

世の中には刹那に生まれ、刹那に消えていく、無形の芸術もあるけれど(音楽や舞踊)、建築は、何十年、何百年と形をとどめ、なおかつコミュニティの基盤となるものであるから、全方位的な視点が求められるのは宿命と思う。

せめぎ合いの中で、概念に形が与えられる――というのは、『意志と表層の世界』。

今、目の前に広がる町並み、一つ一つの家の形は、みな、誰かの意志の現れ。

それも自分一人のせめぎ合いではなく、建築は、完成までに多くの関わりを必要とする。

安藤氏いわく、「丹下健三と坪井善勝、ルイス・カーンとオーガスト・コマンダント、ル・コルビュジェとピエール・ジャンヌレなど、すぐれた建築家の才能をすぐれた技術者が支えた例は少なくありません」。

建築家の求める空間の美と質と量の獲得のために、構造家がそれに最も相応しい材料、構造方式、工法を合理的に選択する、異なる精神がぶつかり合い、刺激しあう、そのコラボレーションの過程を経て、時代を画する力をもった建築が生まれてきました。作家のイマジネーションとそれを規定する議寿的・力学的条件の葛藤から建築の形が導きだされる、というような明快な図式、ひいては形の論理が、かつては確かにあったように思います。

たとえば、建築家が素晴らしい形を思い付いても、それが構造的に可能かどうかは、専門家が詳しく検証しなければ分からない。

構造的に難しいのは分かるが、どうしてもここは開閉式でいきたいんだよ――じゃあ、もう少し高さを変えてはどうか――構造材もこっちを使ってはどうだろう――etc。

理想を実現する為に、皆が知恵を出し合い、時に譲歩、時に強行、様々なぶつかり合いの中で、一つの形を紡ぎ出してゆく。

そんな中、注目されるのが、『地域主義』と呼ばれるものだ。

作り手の個性はもちろん大事だが、それにも増して、大きな意味を持つのが、その地域独特の歴史、文化、精神風土である。京都には京都の、福岡には福岡の、それぞれの場に合った建築があり、それを重んじることが、地域の発展にも繋がる、という考え方だ。

「風土に応じて材料も違えば工法も違う。生活様式も違うから、それぞれの場所にそこにしかない風景があってしかるべきだ」
ルドルフスキーによる文明批判は、現在のグローバリズムの時代における環境の問題においても非常に重要な意味を持っています。

<中略>

建物単体の維持・管理におけるエネルギー消費をただ抑え、そのエネルギー効率を追求することだけが建築における環境の全てではありません。技術的な問題に注目するのも決して間違いではないと思いますが、そもそも合理的で経済性にすぐれた快適な建物をつくるのは、建築それ自体の目的にすぎないともいえます。広義の環境の問題に応えていこうとするのなら、それが立地する地域やシステムにまで目を向けて、その建物が地域の環境形成においていかなる役割を果たすものか、そのような総合的視点から状況を組み立てていく思考が必要になります。

こう考えたとき、その地域の素材を発見し、それを積極的に用いることが非常に重要な意味を持ってくるように思います。

ここで紹介されているのが、フィンランドの紙幣にもあしらわれている建築家アルヴァ・アアルトのエピソード。

皆さんは、アルヴァ・アアルトの肖像がフィンランドで紙幣にあしらわれるほど英雄視されていることをご存じですか? それはアアルトが、ただすぐれた建築や家具のデザイナーであったからだけではなく、そのデザイン・コンセプトに集成材(木材の板を繊維方向に合わせて接着剤で貼り合わせた材)を取り入れたことで、国の木材産業勃興の機械を創出したからです。

フィンランドというと、今でこそ木材資源の豊富な国というイメージが強いですが、実際はそのままで材として市場に流せるような質の高い木材は数が少なかったのです。その打開策として集成材という加工手段が開発され、実用化されつつあったのが、ちょうどビアルトが活躍し始めた1950年代でした。

その集成材の材料特性に備わった創造的可能性がアアルトによって発見され、あの波打つ曲面のデザイン・モチーフと結びつけられたとき、かつては無用の存在であった国土の大半を埋める森林の類いが、一気に国家を潤すかけがえのない資産となったのです。

「自分が作りたいから」「これが売れ筋だから」

それももちろん大事だけれども、「公に働きかける」というのは、自分も生きて、周りも生かす精神に他ならない。

すべての創造は、一つの破壊の上に成り立っているけれど、その創造が、また新たな創造の源流となるなら、そこには価値がある。

対して、質の低い創造は、外に広がっていくことがない。その視点は、どこまでも自己的で、自己の内部だけで完結している。

創造というのは、ある意味、終わりない連鎖であり、化学反応でもある。

一つのユニークな建物が大勢の観光客を呼び、そのブームがストリート・パフォーマンスを生み出したり、往来に屋台や土産物といった様々なビジネスを生み出したり、写真スポットとなったり。作り手の訴えかける意志は、時と空間を越えて、とめどなく広がっていくものだ。その源流は何かと問われたら、やはり社会に対する訴求力であり、人に対する想像力であると思う。自己満足的なものは、いつか取り壊され、その場からも、人々の記憶からも、永久に消え去るだろう。かつて、京都の観光地に進出したキテレツなアイドルショップみたいに。

結局のところ、愛には愛が、傲慢には不満が、返ってくるものだと思う。

それは決して美的センスや技術力の問題ではなく、作り手の意志や人柄は、スロープの傾斜や照明や正門の美しさなどに、どこか現れるのではないだろうか。

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