オペラハウス

プロ VS 素人 権威主義・商業主義を生みだす背景

ふと、フジ子ヘミング女史のことを思い出し、Googleで検索したら、非常に的を射た記事を見つけました。

「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?   冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

私はこの妙な対立の背後には深刻な問題があるように思うのです。それは、結局のところ専門家や音楽ファンは「フジ子・ヘミングの演奏に感動している人」をバカにしているという問題です。例えば、ヘミング女史の演奏を聞いて初めてショパンの魅力を知った人に対して、「ノクターンだけでなく、マズルカやバラードも聞いてみれば?」とか「エチュードは全部で12曲のものが2セットあって、有名なものをバラバラに聞くのもいいけど、続けて聞くと全体の構成がカッコ良いんですよ」というようなアドバイスならまだ分かります。

 ですが、「アノ人の演奏はダメ。例えばショパンなら、ポリーニとか、ピレシュとか、ブレハッチを聞きなさい」という言い方では、折角ヘミング女史の演奏を聞いて「初めてピアノの音楽で感動した」人に対して、その感動の体験を否定してしまうことになります。それは、その人の人格を否定していると言っても構わないでしょう。そのように人を見下した姿勢がその世界の「敷居を高くしている」ということに反省がなくては、「フジ子現象」をクラシック音楽愛好家の裾野の拡大に結びつけることはできないと思います。

私の言いたいことは、すべてこの一文に集約されています。

クラシック・ピアノに限らず、ジャズでも、文学でも、美術でも、似たようなところはありますが。

素人の愛好家とか、TVでたまたま目にして好きになったとか、人が何かに引きつけられる動機は数限りなくあります。

こと素人の感覚においては、自身が「きれい」「すごい」と心動かされることが第一で、「人に勧められたから」「偉い人が名作といってるから」というのは真の動機になりません。一時期、そういう気分になっても、(何か違うんじゃないか)と疑ってみたりもします。そういう意味で、一番素直で敏感なオーディエンスかもしれません。

しかしながら、それをストレートに口に出すと、プロと称する人から木っ端みじんに叩かれることがあります。いわゆる「素人に何が分かる」という問答無用の非難です。

フジ子ヘミング女史など、その典型でしょう。

クラシック界においては異色の存在ですし、アカデミックな教育を受けた人から見れば、「何、これ」、皆がチュチュを着て踊っているのに、一人だけ好き勝手な格好をして踊っている人がいる! みたいな感覚なのかもしれません。

しかし、「フジ子ヘミングが好きだ」と言っただけで、「あなたはクラシック音楽を分かってない」「これだから素人は」みたいに反論されたら、誰も何も言えなくなりますね。アカデミックな教育を受けた人だけが真の審美眼を持ち、音楽について語る資格があるというなら、演奏会も、身内でやればいいのです。でも、それでは飯が食えない、一般のお客さんにも来て欲しい、でも、フジ子ヘミングは聴くな、と言うなら、高飛車と取られても仕方ありません。だって、大衆の九割は素人であり、プロの蘊蓄を聞きに来ているわけではないからです。

「素人は黙れ」の風潮の中で、批評も専門家の間だけでなされれば、批評文化も廃れ、一握りの評論家、一握りの権威だけが力を持つようになります。でも、その人たちが、いつもいつも正しい事を言ってるわけじゃなし、一部の意見で価値や印象が固定されてしまうような世界を誰が面白いと思うでしょうか。

そして、批評文化が廃れれば、作品がいろんな方面から分析されることはなくなるし、「素人は黙れ」という風潮が根付けば、素人も自分の判断や印象に自信を失うようになります。その結果、ますます一部の批評家の比重が増し、大衆もその一声に左右されるようになります。偉い人が「傑作」と言えば、傑作と思い、「駄作」と言えば、たとえ自分が好ましく感じても駄作なのかと思い込んでしまう。その典型が、ゴーストライター事件でしょう。「おかしい」と感じた人もあったでしょうに、TVや著名人らの権威のお墨付きも手伝って、大勢が偽りのストーリーを信じました。楽曲は好ましいとしても、宣伝に嘘はいけませんからね。

こうした権威主義や商業主義は、実力勝負のプロの世界で活躍する人にとっても、はなはだ迷惑に違いありません。どれほど才能があっても、どれほど努力しても、権威のお墨付きがなければ正当に評価されず、お客さんも呼べないとなれば、大問題でしょうに。

でも、そうした傾向を作り出しているのは、「素人は黙れ」の風潮であり、素人から感じる力や考える機会を奪ってしまったら、権威のお墨付きとは無関係に、良いものを見抜くセンスも失われていきます。素人の意見は鬱陶しいかもしれませんが、「素人にわかりっこない」という理由で封殺してしまったら、それは回り回って、権威のお墨付きしか信じない、自分で良し悪しを見抜く力のない、無知なオーディエンスを大量に生みだしてしまうんですね。

確かに、専門家でなければ理解できない事はたくさんありますし、センス、見識ともに、素人にははるか及ばない点もたくさんあると思います。

だからといって、身内の世界観に閉じていれば、オーディエンスも育たず、いずれ業界自体が廃れてしまうでしょう。

どんな作品も、最後には大衆に愛されたものが生き残るでしょうし、その礎となるのも、街角の討論であったり、仕事帰りにちょいと立ち寄ってくれる名も無きファンの愛情だと思います。

そうした大衆から声を奪ってしまえば、権威だけが闊歩し、人の心はどんどん離れていくのではないでしょうか。

プロの批評は、批評として、素人の感想は、感想として、互いに刺激し、学び合えばいいのに、決まってマウンティングになる、という話です。
広告
>海洋小説『曙光』MORGENROOD

海洋小説『曙光』MORGENROOD

ニムロディウムという架空の金属元素を中心に、鉱業、海底鉱物資源、深海調査、海洋情報ネットワーク、建築&デザインなどをテーマに描く人間ドラマ。水深3000メートルに眠るニムロディウムの採掘は世界を変えるのか。生の哲学を中心に海洋社会に生きる人々の願いと攻防を描きます。Google Driveにて無料サンプルPDFも配布中。

CTR IMG