思うように生きられなくても

某奥様系サイトを読んでいたら、次のような記述を見つけた。

「ある新聞の調査によると、専業主婦をしたい人が兼業を余儀なくされ、外に働きに出たい人が専業を余儀なくされている、とのこと」

私も元記事を読んだわけではないので、実際はどうなのか分からないが、もしそれが本当だとしたら、世の中、上手く出来ているものだと思う。

何でも自分の思う通りになったら、この世に生きている意味など無いからだ。

家事と育児に専念したい人が、経済的理由、あるいは社会的責任から、外で働くことを余儀なくされ、外に働きに出たくてうずうずしている人が、就職先がない、子供の預け先がない、といった理由から、家に居ることを余儀なくされる。

自分の生きたい場所で、生きたいように生きられないとしたら、これほどストレスに感じることはないだろう。

「何のために生きているのか」「誰のための人生なのか」と、自分の生き方に懐疑的になるのも無理はない。

人にはそれぞれ目的があって、生きやすい場所がある。

そこから逸れることは、自分の人生にブレーキをかけられるのも同じ事だからだ。

だが、自分の生きたいように生きさえすれば、人は幸せになれるのだろうか。

本当に、生きたい人生だけが全てなのだろうか。

今は、「自分の生き甲斐」「自分の仕事」「自分の楽しみ」「自分の世界」……と、自分、自分が大流行で、自分の生きたいように生きられないことが、さも人生最大の不幸であるかのような言い方をする人もあるけれど、私は、思いがけない生き方にもそれなりの意味があると思う。

意味のないことなど、最初から与えられない。

もし無意味に感じるとしたら、それは自分が分かっていないだけではないか。

自分の思う通りにならないというだけで、「無意味」「無価値」と結論を下してしまうのは早すぎる。

「自分にはもっとふさわしい職場があるに違いない」と無目的に転職を繰り返したところで、何一つモノにならないだろう。

やむにやまれぬ事情から、自分の望まぬ生き方を余儀なくされたとしても、意味に気付けば、自分の望む生き方が全てではないことが分かってくる。

その意味に気付いて、自分に与えられた境遇を精一杯生きたなら、いつかは道も開かれるのではないだろうか。

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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。
※ 現在、制作巣ごもり中につき、ほとんど更新していません。