子孫は火星に行くだろう アリゾナ砂漠編

『砂漠』というと、♪ 月の沙漠を~ はるばると~ アラブの隊商とラクダを連想しがちだが、アリゾナで「desert(砂漠)」といえば、「不毛の地」「荒野」。

文字通り、草一本ない、生のままの大地を指す。

なぜ雑草すら存在しないのかといえば、とにかく乾燥しきって、猛暑だから。

連日、摂氏40度以上、ほとんど雨も降らず、日差しの強さは焼け付くばかり。

木もなく、水もなく、茫漠たる荒れ地が広がっている。

その様は、まさに火星そのもの。

行ったことはなくても、その様は手に取るように分かる。

アリゾナ州 砂漠

飲食店も小売店もあるが、よくこんな所に道路を通す気になったと、つくづく。

一番近い町でも、数十キロ先。自動車が壊れて、砂漠の真ん中で立ち往生するようなことになれば、ほんと死ぬしかない。

こんな風景を延々と目にすれば、人間など、本当に無力な存在だと感じる。

アリゾナ州 砂漠

アリゾナ州 砂漠

アリゾナ州 砂漠

生のままの大地を見ながら思う。

私の子孫は、いつか火星に行くのだろう、と。

実際、NASAでは『NASA’s Journey to Mars』火星有人探査の計画が着々と進んでいて、今世紀中には確実に月の向こう側に宇宙船が行く。

そして、22世紀には、基地建設が本格化して、優秀な人材がこぞって火星に行くようになるだろう。
宇宙科学もうんと発達して、航行時間も大幅に短縮されると思う。

これは決して夢物語ではなく、遂行すべき人類のミッションの一つなのだ。

なぜなら、いつかは太陽が膨張して、地球の海もすべて干上がり、人類の住めない世界になるから。

それまで人類社会が存続するかどうかはともかく、いつかは母星と決別し、第二の地球に住まいを移さなければならないのは科学的真実。

その為の研究開発は今から初めても決して遅くはないのだ。

だから、いつか、私の子孫も火星に行くだろうし、地球外から人類社会を考察する、新しい哲学にも触れるだろう。

そう考えるだけで、自分の命も未来に広がっていくような、不思議な希望を感じる。

どうせ人はいつか死ぬし、三代も経てばすっかり忘れ去られるのに、どうして私たちは未来に思いを馳せ、何かを作らずにいられないのか。

それはきっと遺伝子レベルで命が続くことを本能で知っているからかもしれない。

こちらは山の上から見下ろしたアリゾナ州のdesert。
これも州のほんの一部と思えば、アメリカの広大さが窺い知れる。
どこまでも真っ直ぐ、どこまでも不毛の地。
そんな大地に車道を通して(ルート66とか)、あちこちに町を開き、人と物が大量に行き交うのだから、なまじの国では太刀打ちできないと思う。社会の馬力が違う。

AmazonやGoogleが無人配達、自動運転の技術に必死になるのも分かる気がする。
町から町まで移動するだけで、大変なエネルギーを消費するから、人間、物質とも。
輸送だけでも完全自動化されたら、この当たりの暮らしも、人の生き方も一変するだろうし、それは波紋のように広がって、世界の構造までも変えるだろう。
そう遠い先の話ではない。

アリゾナ州 砂漠

こちらがNASAで着々と準備が進む、火星探査機の打ち上げ台。2030年に打ち上げ予定。

NASA ケネディ宇宙センター

desert というと、思い出すのが映画『バグダッド・カフェ』。私の頭の中でも、ずっとCalling Youが鳴っていた。

A desert road from Vegas to nowhere
Some place better than where you’ve been
A coffee machine that needs some fixing
In a little cafe just around the bend

この世界観を歌っていたのだなと、つくづく。

初稿:2017年9月11日

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この記事を書いた人

石田 朋子

文芸愛好家&サブカルチャー・ファン。主に70年代~90年代の作品に思い入れがあります。寺山修司の名言『詩を作るより、田を作れ(揶揄)』をモットーに、好きな作品を次代に伝えることを目標にしています。海外在住につき、現代日本とは相容れない所がありますがご容赦ください。趣味はドライブと登山。